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東海地方

この地域の文化財指定庭園の場所

永保寺庭園(えいほうじていえん)

多治見市虎渓山町にある永保寺観音堂の南面にひろがる池を主体とした庭園。 中世庭園文化史のうえで最も代表的な作庭家夢窓疎石の作風をよく伝えており、 池畔のいずれに立っても景観はすばらしく、室町時代禅宗寺院の代表的な庭園。


文化財種別:名勝

〒507-0014
岐阜県多治見市虎渓山町1−40
Tel:0572-22-0351


 多治見市虎渓山町にある永保寺観音堂の南面にひろがる池を主体とした庭園。永保寺は正和2(1313)年に夢窓疎石が開いたあと、観音堂の建立に伴って寺域が整備され、庭が築造された。
 寺の中心建築物である観音堂の西に接して、岩山「梵音巌」から、岩壁をつたって滝が落ち、その真下には地形に応じた池が設けられ、池の中には2つの島が置かれている。
 観音堂へ渡る橋「無際橋」は、堂の正面で臥龍池に架けられた虹形の橋で、池を2つに分けている。境内は、北から西にかけて長瀬山の丘陵に囲まれ、南から東は土岐川の流れが屈曲する西岸に接しており、自然地形を取り込んですぐれた景観を作っている。中世庭園文化史のうえで最も代表的な作庭家夢窓疎石の作風をよく伝えており、池畔のいずれに立っても景観はすばらしく、室町時代禅宗寺院の代表的な庭園である。

江馬氏館跡庭園(えましやかたあとていえん)

中世の北飛驒地方を治めていた江馬氏の居館に築かれた庭園遺構。発掘調査の成果に基づき、会所(かいしょ)と塀に囲まれた園池を中心とする庭園空間全体を復元整備したもので、室町時代における庭園文化の地方への伝播を示す重要な事例である。


種別:史跡・名勝

〒506-1121
岐阜県飛騨市神岡町殿573-1

Tel:0578-82-6001

江馬氏の城館跡は、下館(居館)と背後に築かれた高原諏訪城(山城)を中心として、領域内に点在する山城群によって構成され、これらは昭和55年に国の史跡指定を受けている。このうち、下館の庭園区画については、平成29年に国の名勝指定を受けている。

庭園は、発掘調査によって15世紀末から16世紀初頭にかけて完成したものと想定している。会所と土塀に囲まれた空間に景石石組みを伴う不整形の園池が設えられている。枯滝石組みや中島・岩島といった景石群を配し、会所西側に張り出した月見台の正面には洲浜を設けて、多様な意匠と視点を演出している。園池の池底は、透水層から成って枯れ池の意匠を呈している。

庭園の視点場である会所は、往時と同様の庭園景観を楽しむことができる。さらに、詳細な検討によって復元した建物内部の空間は、武家の儀礼や饗応の様子を追体験することが可能となっている。中世の武家文化に触れることができる庭園としても貴重である。

柴屋寺庭園(さいおくじていえん)

柴屋寺は今川氏に仕えた連歌師宗長が晩年に結んだ草庵。その庭園は宗長の自作である。 庭園は昭和11(1936)年に国の名勝・史跡に指定され、次いで昭和31(1956)年に、寺裏の山林や借景として欠かせない天柱山を保護するため、 滝囲いと表門一帯が追加指定された。


文化財種別:史跡・名勝

〒421-0103
静岡県静岡市駿河区丸子3316
Tel:054-259-3686


 柴屋寺は今川氏に仕えた連歌師宗長が晩年に結んだ草庵「柴屋軒」を、今川氏親が寺に改めたと伝えられる。天柱山柴屋寺の別名を吐月峰柴屋寺ともいう。
庭園は宗長の作庭であることが、彼の手記に記されている。本堂の西側は、平地になっており、そこに小さめの池を掘って、東北側に湧き出る清水から引き込んだ水で満たしている。
池畔には、様々な樹木が植栽され、変化に富んだ立石が配置されている。庭の前方、西に聳える天柱山を借景としている。
 宗長が腰かけて昇る月を眺めたという月見石があり、その後ろには、宗長の師である宗祇と宗長の墓が並んでいる。
 庭園は、昭和11(1936)年に史跡・名勝に指定されていたが、「吐月峰」周辺の環境の変化から、寺後方の竹林や、借景にかかせない天柱山を保護するため、昭和31(1956)年に滝囲いと表門一帯が追加指定された。

龍潭寺庭園(りょうたんじていえん)

行基が開いたと伝えられる名刹、龍潭寺本堂の北の庭園。庭園は江戸時代初期、小堀遠州によって作庭されたといわれ、寺院庭園として代表的な庭園。地元で産するチャートを使い、数多くの石組みと築山全体で鶴亀が表現されている


文化財種別:名勝

〒431-2212
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989
Tel:053-542-0480

ホームページ:www.ryotanji.com


 奈良時代に行基が開いたと伝えられる名刹、龍潭寺本堂の北にある庭園は、江戸時代初期、小堀遠州によって作庭されたといわれる代表的な寺院庭園である。
 庭を正面から眺めると、まず中央に心字池が造られており、対岸はなだらかな起伏の築山になっている。築山には地元で産出する堆積岩のチャートを使った様々な石組みが配されて、全体で鶴と亀を表している。築山中央の中腹には、守護石が置かれ、池の左右に仁王に見立てた立石「仁王石」が置かれている。池手前の畔には、対岸の守護石に相対するように平らな礼拝石が据えられている。石組みの間には数多くのサツキが植えられ、庭を囲む木々とともに季節ごとに異なった風情を作り出している。龍潭寺には本堂の南面に枯山水の庭園も造られている。こちらは浜名湖を表現した補陀落の庭である。

臨済寺庭園(りんざいじていえん)

臨済宗妙心寺派の禅寺で今川家の菩提寺であった。天正年間に徳川家康が伽藍を再建する際に築庭されたといわれる。賤機山(しずはたやま)の斜面を利用した、3段造の池泉観賞式の庭園。建造物と庭園内は春・秋の年2日、特別公開が行われる以外は非公開。


文化財種別:名勝

〒420-0885
静岡県静岡市葵区大岩町7番1号
Tel:054-245-2740


 臨済寺は、今川義元の兄氏輝の菩提寺で、義元の軍師太原雪斎長老が、大休禅師を迎えて開山した臨済宗妙心寺派の禅寺であり、庭は天正年間に徳川家康が伽藍を再建する際に築庭されたといわれる。寺院背後の山の斜面を利用した、3段造の池泉観賞式の庭園である。
 建物の北側に借景となっている賤機山の山すその斜面を利用して築庭している。崖上からの水を渓谷風に落とし、東側の一段高くなっている大書院の前の池に引き入れている。東側の池から溢れた水は、西側の池へと滝流れとなって池を満たす。
主としてアカマツ、ラカンマキ、ゴヨウマツ、ソテツが植えられ、これら主要木の間に低木のサツキが植えられているほか、岩磐にはイワヒバが群生する。

名古屋城二之丸庭園(なごやじょうにのまるていえん)

17世紀前半、名古屋城築城後しばらくして二之丸御殿の北側に造営された庭園。江戸時代から明治にかけ、改変されたものの、江戸時代の築山や大形の庭石、青石を用いた枯滝石組などが残存する城郭庭園として貴重。


文化財種別:名勝

〒460-0031
愛知県名古屋市中区二の丸1番、2番
Tel:052-231-1700

ホームページ:www.nagoyajo.city.nagoya.jp


 名古屋城内二之丸にある庭園で、最初の築庭後、二度にわたって大きく改変された。最初は二之丸御殿の造営に伴って築庭され、尾張藩初代藩主義直が傾倒していた儒教思想を取り入れた庭園であった。江戸時代はじめの庭の様子を表した絵図には、巨岩や園地に中国風建物をところどころに配した庭の姿が描かれている。
 文政年間(1818~1830)頃に、一橋家から尾張藩を継いだ十代藩主斉朝により、茶席や築山を加えた本格的な和様の回遊式庭園として改修、拡張された。
 明治時代になると陸軍が入り、江戸時代の建物とともに庭園も取り払われたが、庭の中核をなす北西部分は残され、その南側に新たに前庭が整備された。
 昭和28(1953)年、庭の北西部分と前庭が名勝に指定された。その後の発掘調査及び史料調査により、庭園の跡が良好な状態で地下に保存されていることが確認され、平成30(2018)年に庭園のほぼ全域が名勝として追加指定された。
 江戸時代の築山や大形の庭石、青石などを用いた枯滝石組などが残存している。藩主が居住した御殿の庭園としては日本一の規模である。

旧龍性院庭園(きゅうりゅうしょういん)

 


文化財種別:名勝 

〒471-0361
愛知県豊田市猿投町瀬戸田
(旧龍性院庭園は、一般公開はしていません)

旧龍性院庭園は、愛知県豊田市の猿投山(標高629m)の南麓に位置します。庭園の造られた龍性院は、式内社である猿投神社の神宮寺の一つで、14世紀開創と考えられています。廃仏毀釈により慶応4年(1868)に廃寺となりましたが、庭園は破却を免れました。 

庭園の造営についての資料は残されていませんが、記録類から18世紀末には庭園の存在がうかがえます。また、1830年から60年頃の制作とされる『龍性院家相図』には、客殿等の建築物と庭園が描かれますが、発掘調査から客殿等の建築は17世紀前半と推察され、建築物との位置関係から庭園もその頃に造られたと考えられます。 

庭園は東側にあった客殿から観賞するよう造られています。右奥に最も大きな築山を築き、その裾付近に滝が造られます。築山は左奥にもあり、右奥と左奥の築山の間をなだらかな峰が結びます。『龍性院家相図』には左奥の築山の上に草庵風の建物が描かれ、その礎石と考えられる石材が残ります。滝から続く池は左右に長く、左端で手前に直角に折れ曲がります。池には出島、岬等が造られ、石橋が架かり、護岸の石組は随所に大振りの石を配置しながら入り組んだ曲線を描きます。『龍性院家相図』では池が青く描かれますが、水は涸れており、取水及び排水の経路は不明です。植栽は、当時のものは残されていませんが、『龍性院家相図』には、マツ類、円柱状・四角柱状・半球状に刈り込んだ中低木類が見られます。 

旧諸戸氏庭園(きゅうもろとしていえん)

加路戸新田(現在の三重県桑名郡木曽岬町)で、代々庄屋を務めた諸戸氏の二代目清六の邸宅として1914年に完成した。東西に広がる構成で芝生広場、園池、築山が奥行きをなして開放的な印象を与える。近代において地方の豪商が築造した庭園として学術的価値はきわめて高い。


文化財種別:名勝 

〒511-0009
三重県桑名市大字桑名663−5
Tel:0594-24-4466

ホームページ:www.intsurf.ne.jp/~rokkam/


 加路戸新田(現在の三重県桑名郡木曽岬町)で、代々庄屋を務めた諸戸氏の二代目清六の邸宅として1914年に完成した。屋敷は桑名市北東部を南東に流れる揖斐川の右岸にあり、土手沿いの長屋門をくぐって左手に曲がって伸びる通路を進むと、正面にジョサイア・コンドル設計の洋館と、その西側に繋がる和館からなる特徴的な建物があり、建物の南面に主庭園が広がる。庭園は、東西に広がる構成で芝生広場、園池、築山が奥行きをなして開放的な印象を与える。
 和館の後ろには内庭があり、もとは茶室と露地があった。茶室は昭和初期に移築され、現在露地の形態は留めていないものの、その遺構は認められる。近代において地方の豪商が築造した庭園として学術的価値はきわめて高い。

諸戸氏庭園(もろとしていえん)

三重県桑名市の米穀商であり、1代で富を築いた初代諸戸清六が江戸時代に作られた庭園を買い取り、明治時代の1887年頃に築造した。庭園の池は揖斐川の水を濠から入れており、揖斐川の干満に応じて景観が変化する「潮入りの池」となっている。


文化財種別:名勝

〒511-0005
三重県桑名市太一丸18番地
Tel:0594-25-1004

ホームページ:www.moroto.jp


 桑名市北東部を南西に流れる揖斐川右岸にあり、室町時代には邸宅・庭園があったといわれる土地を江戸時代の貞享3(1686)年に豪商山田彦左衛門が買い求めて作った庭園(旧山田氏林泉)を、明治17(1884)年に初代諸戸清六が買取り御殿と庭園を築造した。
 庭園は主に主屋前にある旧山田氏林泉と、御殿広間前面にある御殿庭園の2つの部分からなり、庭園の西辺と北辺にはレンガ造の濠がめぐらされている。
 旧山田氏林泉の部分は、東西に長く浅い菖蒲池を中心とする回遊式庭園である。池の西端には江戸時代以来の草庵推敲亭が建っており、古くからの様子を留めている。春には藤、平戸つつじ、花菖蒲などの花が次々と咲き、情感豊かな庭園である。
 御殿庭園は、広間座敷から観賞するための庭で、高さ約1.5メートル上から庭園を見下ろすダイナミックな構成となっている。広間前の池を中心として、荒磯あるいは深山を思わせる青石の石組と、池の水面を這うように松が伸び、幽玄な趣がある。
 江戸時代の旧山田氏林泉の景色を残しつつ、明治時代に更に庭園を加え、主屋、御殿、玉突場、茶室伴松軒など用途に応じた建物を配した。近代の地方の豪商の姿を今なおはっきりと伝える庭園として貴重である。