北陸・甲信越地方」カテゴリーアーカイブ

北陸・甲信越地方

この地域の文化財指定庭園の場所

貞観園(ていかんえん)

江戸中期に創設された林泉園池。作庭の手法は京都風ながら佐渡の赤玉石を多く使用し、地元の特色をもつ。 園内にはスギゴケやジャゴケなどの苔が百数種類を数え、苔で有名な京都の西芳寺などに次いで稀にみる苔の庭。


文化財種別:名勝

〒945-1502
新潟県柏崎市高柳町岡野町593
Tel:0257-41-2100

ホームページ:www.teikanen.jp/


 江戸中期に創設された林泉園池で、大庄屋であった村山家の庭であり、八代当主亀石翁の時には、幕府の庭師であった九段仁右衛門と藤井友之進らが招かれ、作庭に関わったといわれる。
 園名は、天保14(1843)年に越後の儒学者、藍澤南城が、中国、六朝時代の詩人であった謝康楽の詩句「遺情捨塵物、貞観丘壑美」からとって、命名した。謝康楽は繊細な表現で山水の美をうたった詩人であったとされる。
 貞観堂という堂の前に池を造り、滝流れを造っている。数多くの庭石を置き、「觀瀑亭」、「四時庵」、「抱月樓」、「環翠軒」と称される茶室などの建物が配されている。小堀遠州の手法を取り入れて、桂離宮を模して造られており、京都風ながら佐渡の赤玉石を多く使用し、地元の特色も持っている。園内にはスギゴケやジャゴケなどの苔が百数種類を数え、苔で有名な京都の西芳寺などに次いで稀にみる苔の庭となっている。

渡辺氏庭園(わたなべしていえん)

作庭の年代は明らかでないが、江戸中期の作とみられている。 京都より遠州流庭師を招き構築された。 庭景の中心をなす池は心字型で築山に枯滝、州浜に石灯籠、北側に井戸囲いがほどよく配置され、江戸時代中期の庭園構成がよく保存されている。


文化財種別:名勝

〒959-3265
新潟県岩船郡関川村大字下関904
Tel:0254-64-1002

ホームページ:www.watanabetei.com


 越後下関の豪商で豪農であった大庄屋の渡辺氏の邸宅の庭であり、東向きの庭で、心字池が中心に置かれている。南庭園の棟木に明和6(1769)年造立の墨書があることから、庭はこの頃の作とみられている。池の西に一の山、二の山、三の山と三つの築山が築かれている。一の山には不動石が立てられており、枯滝を表している。その対岸の池の東側は、玉石を敷き詰めて州浜が仕立てられており、数多くの庭石が組まれて、多数の飛石が配され、鶴と亀に見立てた植栽などが施されている。春の白梅、夏のカキツバタ、秋は紅葉、冬は墨絵のような雪景色と、四季折々に眺めを楽しむことができる。
 庭の景色に趣を添える石灯籠と井戸囲いが程よく配置され、庭園の地割はいわゆる京都風となっている。
 江戸時代中期の庭園構成がよく保存されており、地方への文化の浸透があらわれた例であり、日本庭園史にとって貴重とされる。

旧新発田藩下屋敷(清水谷御殿)庭園(きゅうしばたはんしゅしもやしき(しみずだにごてん)ていえん)

越後を代表する大名庭園。江戸時代初期の万治元(1658)年に建立された溝口氏の下屋敷清水谷御殿の庭園で元禄年間(1688~1704)に作庭された。
下屋敷・御茶屋それぞれに異なった趣の庭園が良好に保存され、公儀茶道方が度々下向して指導作庭されたことがわかる貴重な庭園である。


文化財種別:名勝 

957−0056
新潟県新発田市大栄町7−9−32
0254-22-2659


 慶長3(1598)年から江戸時代を通じて、蒲原平野の経営に努めた溝口氏の下屋敷に作られた庭園。
 御殿建立後に幕府茶道方の縣宗知を招いて作庭の指導を受け、元禄年間(1688~1704)に清水谷、五十公野、法華寺などの庭園が完成した。清水谷の庭園は大池泉を中心とした池泉回遊式庭園で、南の最奥部に築山を築き、池は左右に湾入して水面に広がりを持たせている。池辺には左手に州浜、右手に岩を組んだ険しい岬の景色を創り出しているほか、大小の中島が設けられ水面にせり出すように亭が造られている。中絞りの池の形は前後の水面を大きく見せる効果を生んでおり、往時の庭園地割が良く保存された大名庭園である。
 五十公野御茶屋は藩主の別邸で、参勤交代時に旅装を改めたほか、茶寮として重臣にも開放し遊楽の場とした。池や緩やかな起伏の築山を設けてスギやマツを植え、出島にはゴヨウマツ、御茶屋近くにはウメを植えるなど植物観賞を中心とした庭園で、石組みはほとんど施されておらずゆったりとした造りとなっている。

兼六園(けんろくえん)

延宝年間1676年、5代藩主前田綱紀が蓮池庭を造営したのを契機として、加賀藩の歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられた。 十三代斉泰のときには大改修が行われ、遠方の辰巳用水から池に水を導き、瀑布や曲水、噴泉など多彩な水景を造りだした。


文化財種別:特別名勝

〒920-0936
石川県金沢市兼六町一番地内
Tel:076-221-5508


 日本三名園の一つで、延宝4(1676)年、5代藩主前田綱紀が蓮池庭を造営したのを契機として、加賀藩の歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられた。回遊式の要素を取り入れながら、様々な時代の庭園手法を駆使してつくられた。敷地の広さを活かして、庭のなかに大きな池を穿ち、築山を築き、四阿や茶屋を置いて、そこに立ち寄りながら遊覧できる庭園となっている。作庭における基本的な思想は一貫して神仙思想であった。大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配し、植栽された多彩な樹木は四季折々の美しさを見せている。
 十三代斉泰のときには大改修が行われ、遠方の辰巳用水から池に水を導き、瀑布や曲水、噴泉など多彩な水景を造りだした。

成巽閣庭園(せいそんかくていえん)

文久3(1863)年に、兼六園の南に巽御殿(たつみごてん)の主庭として作庭された。 幕末から明治、昭和にかけて築山の造設や水路の作り替えなど、時代を重ねて整えられてきた。 水流を有する清邃(せいすい)で調和に優れた平庭庭園である。


文化財種別:名勝

〒920-0936
石川県金沢市兼六町1番2号
Tel:076-221-0580

ホームページ:www.seisonkaku.com


 成巽閣庭園は、特別名勝兼六園の南に隣接し、加賀藩13代前田斉泰の母、真龍院の隠居所として文久3(1863)年に造営された「巽御殿」とその主庭を築いたのが始まりである。
書院と茶室、水屋から成る「清香軒」に面する主庭「飛鶴庭」は、水が流れる清邃な平庭である。
 巽御殿は、明治7(1874)年に「成巽閣」と改称され、この頃に主庭から分水して、「万年青の廊下」の縁先に面する中庭に遣水として通水させ、築山を設けて、深山幽谷の景趣を創り出した。
 明治42(1909)年に、後に大正天皇となる東宮の北陸行啓をきっかけに、前庭に表門、馬車回し、玄関が整備された。また、「つくしの廊下」の縁先に面する中庭では、既存の能舞台を除却した後、主庭から続く水路を直流から緩やかな曲流に造り替え、平明な風情を創り出した。
 昭和24(1949)年頃には、現在の主庭、中庭、前庭からなる成巽閣の地割りが整ったとされる。
 時代を重ねて整えられてきた、水流を有する清邃で調和に優れた平庭庭園である。

那谷寺庫裡庭園(なたでらくりていえん)

寛永12(1635)年に那谷寺の庫裏と同時に築造された。 西側の茶室如是庵から東側の小池にかけて飛石が配置され、所々に石が立てられ、北隅にシイの大木が立つほか、 東の池を挟んでスギの巨樹が高くそびえるなど老樹が鬱蒼と茂る。 景致幽邃の庭園。


文化財種別:名勝

〒923-0336
石川県小松市那谷町ユ122番地
Tel:0761-65-2111

ホームページ:www.natadera.com/spot/#shointeien


 那谷寺は養老元(717)年、泰澄大師が岩窟に千手観音を安置したのがはじまりと伝えられる真言宗の名刹であり、安土・桃山時代の火災のため衰退していたが、寛永12(1635)年に加賀三代藩主前田利常によって再建された。庭園は、那谷寺の庫裏と同時に築造されており、小堀遠洲の指導を仰ぎ、作庭奉行の分部ト斉に造らせたといわれる。
本庭は、書院裏から本堂の裏にかけての北庭で、北西隅にある茶室、如是庵から書院裏をつないで東部の池庭へと飛石が打たれ、ところどころに石が立てられている。書院の角、北東部に三尊石が組まれた配石があり、庭の主要な景観が構成されている。        
北隅にシイの大木が立つほか、東の池を挟んでスギの巨樹が高くそびえるなど老樹が鬱蒼と茂っている。
小松を訪れた松尾芭蕉が那谷寺を参拝し、「石山の石より白し秋の風」の名句が残された。

伊藤氏庭園(いとうしていえん)

代々庄屋を務めた伊藤家の当主で、当時医業を営んだ伊藤助左衛門が、江戸享保年間前後に普及した庭園図本を基に作庭した。 作庭当初の姿をよくとどめていることから、鑑賞的価値だけでなく庭園史資料としても貴重な庭園である。


文化財種別:名勝

〒919-0113
福井県南条郡南越前町瀬戸29−2

ホームページ:www.town.minamiechizen.lg.jp/kurasi/103/128/p001179.html


 江戸時代の中期から後期にかけて編纂され普及した作庭書「築山庭造伝」を基にして作庭された。造営したのは、代々庄屋を務めた伊藤家の10代当主で、当時医業を営んだ伊藤助左衛門。
 背後の山林を借景に正面の築山に三尊石、前面に座禅石、右側には山腰石、左側に不動石が据えられている。築山の裾に造られた庭池に、出島や中島、舟石、石橋が配置されている。建物側の汀の中ほどに礼拝石、両端に二神石が配置されている。庭園の東にイチイの巨樹が茂るほか、カエデやシャクナゲ、サザンカなどが植えられた座視鑑賞の築山林泉式庭園である。
 作庭当時の姿が残されているといわれ、私邸の庭園でありながら、作庭書に忠実に作庭されており、伝統的日本庭園のありようを見ることができる。

城福寺庭園(じょうふくじていえん)

江戸時代中期に真宗出雲路派の寺院・城福寺の庫裡に造られた庭園。 庫裡の南側に位置し、正面の生垣越しに文室山などの日野山系の山並みを借景とした枯山水庭園である。 江戸時代中期の作庭手法をよく伝える庭園である。


文化財種別:名勝

〒915-0026
福井県越前市五分市町11−26
Tel:0778-27-1773


 真宗出雲路派の寺院・城福寺の庫裡に江戸時代中期に造られた庭園であり、城福寺は寛永元(1624)年に寺域を現在地に移したと伝えられている。
庭園は庫裡の南側に位置し、正面の生垣越しに望む文室山などの日野山系の山並みを借景とした枯山水庭園であり、江戸時代中期の作庭手法をよく伝えている。
 書院の南面に低い築山が配されており、中心に立石(本尊石)が据えられている。築山のすそは、平らな石組みで池の汀状を表して、左右の端に立石(神石)が置かれている
前面は、平坦で蘚苔類が広がっており、礼拝石を中央に配し、亀島・鶴島・舟島が置かれている。
 築山の上には、ヒイラギの巨木が植えられている。
 作庭年代を知る資料は少ないものの、江戸時代中期に造られた平庭枯山水様式の好例である。

梅田氏庭園(うめだしていえん)

池田郷の大庄屋を務めた豪族梅田氏の居館の林泉庭園。高尾山・愛宕山を借景にスギ・アカマツ・モミなどの老木が林立し、幽邃な景観を呈している。 室町時代末ごろの特色がよく保存され、この地方における庭園文化の伝播を知るうえで貴重。


文化財種別:名勝 

〒910-2503
福井県今立郡池田町谷口33-8-1
Tel:0778-44-6106


 池田郷の大庄屋を務めた豪族梅田氏の居館の林泉庭園。庭は、前面に曲がりくねった池が造られて、中ほどに沢飛石と自然石の石橋がかけられている。右手奥から引き入れた水路を2筋に分けて中島の左右に落して滝を造っている。正面左には巨石を立てて景色の中心とし、その周辺の要所に石が配されている。流路と池とは石組によって護岸されている。また、建物と池のあいだには大きめの飛石が、広い間隔をとって配置されている。
右手に高い山がそびえ、左手奥には高尾山・愛宕山を借景にスギ、アカマツ、モミなどの老木が林立し、庭園のいたるところがコケに覆われた幽邃な景観となっている。
室町時代末ごろの特色がよく保存され、この地方における庭園文化の伝播を知るうえで貴重であるとされる。

瀧谷寺庭園(たきだんじていえん)

永和元(1375)年に創建された真言宗智山派の寺院の庭園。 庭園は慶長年間から江戸時代中期に築庭されたといわれる。 丘陵の斜面を利用して造られ、四方が正面という珍しい特徴をもっている。


文化財種別:名勝 

〒913-0054
福井県坂井市三国町滝谷1−7−15
Tel:0776-82-0216


 瀧谷寺は南北朝時代の永和元(1375)年に創建された真言宗智山派の寺院で、庭園は本堂より書院にわたって作庭されており、寺院本堂北側の丘陵南斜面を利用した山水式庭園である。
 庭園は、四方が正面という珍しい特徴をもっている。建物前方斜面の裾にあった露岩を削って池を造り出し、建物から池を望むと対岸斜面には、後方にシイノキやモミ、コウヤマキなどの巨樹が茂っており、その手前の斜面にマツの古木が点々と立っている。マツの間にはツツジの低木が植えられ、低く仕立てられている。ほかにも石を立て、灯籠が置かれている。
 瀧谷寺には、鎮守堂など古い建物が残されており、国宝の金銅毛彫宝相華唐草文磬(仏教の鳴器)など、瀧谷寺関連の文献史料や仏像など数多くの文化財が収蔵庫で展示されている。

西福寺書院庭園(さいふくじしょいんていえん)

浄土宗鎮西派の良如上人が開基と伝えられる西福寺の庭園。 築庭の年代は定かではないが、延享4(1747)年再建とされる阿弥陀堂に関連深いことから、庭園の作庭もその頃と考えられる。 極楽浄土を表現したとされる書院庭園は、秋の紅葉の美しさが有名。


文化財種別:名勝 

〒914-0824
福井県敦賀市原13−7
Tel:0770-22-3926

ホームページ:http://www.saifukuji.jp/


 浄土宗鎮西派の良如上人が開基したと伝えられる西福寺の庭園。庭園後背の山の中ほどに窪地があり、花崗岩の巨石が群立し西北方向にはマツが、東北方向にはマツが混生する雑木林が生い茂っている。その所々にはツツジなどの低木とシイノキやヤマモモなどが植えられている。
 山容を背景とし山の麓に池を設けている。池は阿弥陀堂の側面に横長に作られ、池中には中島が3島あり、石橋が架けられている。池の西北部には滝石組にかわる大きな自然石が2石あり、水はそれらの上部に積まれた石垣の上を乗っている樋を通して流入している。水分石はみられない。水は池の東北隅から排されている。
 築庭の年代は定かではないが、延享4(1747)年再建とされる阿弥陀堂に関連深いことから、庭園もその頃の作庭と考えられる。極楽浄土を表現したとされる書院庭園は、秋の紅葉の美しさが有名である。

旧玄成院庭園(きゅうげんじょういんていえん)

享禄4(1531)年管領・細川武蔵守高国が作庭したされる。 天台宗の旧平泉寺の塔頭であった玄成院の庭園で、北陸地方に現存する庭園として最古。 庭全体には200種余のコケが生育し、幽玄な空間を作り出している。


文化財種別:名勝

〒911-0822
福井県勝山市平泉寺町平泉寺56-63
Tel:0779-88-1591


 天台宗の旧平泉寺の塔頭であった玄成院の庭園で、室町時代の享禄4(1531)年に管領・細川武蔵守高国が作庭したとされる。庭は、建物の東側に位置する回遊式枯山水庭園。正面上段に築山が造られ、築山の前面に枯池が配置されている。築山の最も高いところには本尊石が置かれ、本尊石を中心として渦巻状に滝を模した石組が配されている。池の左手奥の石組みは滝を模したもので、枯池の中には鶴島、亀島が置かれ、亀石の近くに石橋が架けられている。庭全体を覆うように200種余のコケが生育し、幽玄な空間を作り出している。また庭園の後方にはスギやモミ、カエデなどの老木が生い茂り、斜面中腹に疎らに立つ若スギと、その木立の間にツツジと数基の石灯籠が立てられて、ひっそりとした趣きのある佇まいとなっている。

坪川氏庭園(つぼかわしていえん)

福井県内に現存する最古の民家である坪川家住宅の庭園。住宅は特徴的な茅葺屋根の豪壮な造りをした建物で、当時の地方豪農の暮らしぶりを偲ばせる。庭園は屋敷東側の主庭園と西側の西庭があり、隣接する山から引き込んだ清流を巧みに利用して造られている。


文化財種別:登録記念物(名勝地関係)

〒910-0205
福井県坂井市丸岡町上竹田30-11
Tel:0776-67-2111


 福井県に残っている民家で最も古く、江戸時代初期に建てられたと推定される坪川家住宅の庭園である。
 敷地全体に水路が縦横に巡らされており、池庭やかつては農地であった所に菖蒲園などが造られている。敷地を流れる水は隣接する背後の山の谷奥より清流を引き込んだもので、生活用および庭園池泉用の水として利用している。引き入れられた水は、池の東端中央部に位置する滝口から園池へと注ぎ込んでいる。山裾の斜面を掘削して造られた池は南北に細長く、山側の東岸は地形を利用した峡谷のような深い入り江や、急勾配の部分があるなど変化に富んだ汀線となっており、景石が随所に配置されている。水の流れ、菖蒲園、巨樹が混生する屋敷林などが良好な環境を創り出して庭園の重要な特質となっている。
 豪雪地帯の農家であるため開口部の小さい建築構造となっており、池庭を観賞するためには屋外に出ることになる。多くの庭園が座敷から観賞するように造られているなかでは希少であり貴重である。