特別名勝」カテゴリーアーカイブ

特別名勝一覧

特別名勝に指定された庭園の一覧です。

特別名勝の場所

毛越寺庭園(もうつうじていえん)

浄土式庭園。枯山水風の築山の石組みや、池に水を引き入れる遣水など、自然の景観が表されている。 大泉が池を中心として、平安時代の優美な作庭の形状をとどめ、日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園。


文化財種別:特別名勝

〒029-4102
岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58
Tel:0191-46-2331

ホームページ:www.motsuji.or.jp


 慈覚大師円仁が開山した寺で、奥州藤原氏二代基衡から三代秀衡の時には、数多くの堂塔や僧坊が建てられ、隆盛を極めていた。藤原氏滅亡後は災禍に見舞われ、建物はすべて焼失したものの、発掘調査が行われると庭園と伽藍の遺構が保存されており、かつての景観が復元された。
 庭は、本堂から北を望むと、塔山と称される小山を背景に、広々とした「大泉が池」が浄水をたたえている。「大泉が池」の水際に沿って、州浜や荒磯を模した水分け、浪返しにあたる立石、築山の石組み、水を引き入れる遣水など自然の景色が表現されている。
 仏教の浄土思想の影響を受けた浄土式庭園は、平安時代から鎌倉時代にかけて築造されたもので、平安時代に作庭された毛越寺庭園は、日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を現代に伝えており、周囲に立つ樹木の景観とも相まって往時の美しさを偲ばせている。

小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)

江戸寛永年間1625年、水戸徳川家の江戸中屋敷(後の上屋敷)の庭として神田上水の分流を引き入れて築造された。 江戸時代初期の典型的な大名庭で、池を中心にした回遊式泉水庭園。 1952年文化財保護法によって特別史跡及び特別名勝に指定される。


文化財種別:特別史跡・特別名勝

〒112-0004
東京都文京区後楽1−6−6
Tel:03-3811-3015

ホームページ:teien.tokyo-park.or.jp/contents/index030.html


 江戸時代、寛永2(1625)年に水戸藩の初代藩主徳川頼房が築造に着手し、その後、2代光圀に引き継がれて完成した。光圀は、明の遺臣であった儒学者の朱舜水を儒臣として登用し、中国趣味を取り入れて作庭している。庭園は小石川台地の先に位置しており、神田上水を利用して池を中心とした「回遊式築山泉水庭園」である。園名は朱舜水の選名で『岳陽楼記』の「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から命名した。江戸時代大名庭の初期のものとして典型的なものである。
 築造されてから後、安政2(1855)年の大地震、明治13(1880)年に涵徳亭が焼失するなど度重なる変化を受けているため、築造物の中には痕跡を残すだけのものもあるが、池泉と樹林は、往時の美しさを今も残している。

六義園(りくぎえん)

小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられる。 1695年5代将軍徳川綱吉の側用人、柳澤吉保によって7年の歳月をかけて築造された。 和歌の浦の景勝や和歌に詠まれた名勝の景観を八十八境としてあらわす回遊式築山泉水庭園。 1953年に国の特別名勝に指定された。


文化財種別:特別名勝

〒113-0021
東京都文京区本駒込6-16-3
Tel:03-3941-2222

ホームページ:teien.tokyo-park.or.jp/contents/index031.html


 江戸時代、元禄年間に柳澤吉保によって造られた。元禄15(1702)年に、「詩経」の六義(りくぎ)からとって「六義園」とし、館を「六義館」と名付けた。江戸時代初期に造られた桂離宮庭園の様式をとりいれた回遊式築山泉水庭園であり、園内には紀州和歌の浦などの和歌に詠まれた名勝の景観である八十八境が配されている。小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられた。
 柳澤吉保が官職を退いた後に一時荒廃し、江戸時代後期の文化年間に再興されたが、この時には建物の一部は失われていた。     
 明治になって三菱の岩崎家の所有となり、補修が施されて景観が回復された。改修されたところは少なくなかったが、主要な部分は残されており、現存する大名庭園のうちでは有数のものとされる。

旧浜離宮庭園(きゅうはまりきゅうていえん)

潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。 潮入の池とは、海水を引き入れ潮の干満によって池の趣を変えるもの。 現在も実際に海水が出入りする唯一の庭園。 1952年国の文化財保護法に基づき特別名勝及び特別史跡に指定された。


文化財種別:特別史跡・特別名勝

〒104-0046
東京都中央区浜離宮庭園1−1
Tel:03-3541-0200

ホームページ:teien.tokyo-park.or.jp/contents/index028.html


 潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。潮入の池とは、海水を引き入れ潮の干満によって池の趣を変えるもの。東京都に残る大名庭園のうち、現在も実際に海水が出入りする唯一の庭園である。
 江戸時代初期(寛永年間)までは一面の芦原で、将軍家の鷹狩の場所であった。承応3(1654)年に、甲府宰相の松平綱重が甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建て、後に六代将軍家宣の時、将軍家の所有となり浜御殿と改められた。
 庭園は北側と南側で様子が異なっており、南側は海水を引き込んだ大泉水を中心とした景観が造られている。池の周囲は散策できる回遊路が廻らされ、各所に橋が架けられており、池辺や湖上からの景色を楽しむことができる。園の東側と西側それぞれに鴨場が設けられている。往時は、南東にお台場と房総の山々を遠望し、西方は遙かに富士山を望んだといわれるが、現代では東京湾のウォーターフロントの高層ビル群が背景となっている。

兼六園(けんろくえん)

延宝年間1676年、5代藩主前田綱紀が蓮池庭を造営したのを契機として、加賀藩の歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられた。 十三代斉泰のときには大改修が行われ、遠方の辰巳用水から池に水を導き、瀑布や曲水、噴泉など多彩な水景を造りだした。


文化財種別:特別名勝

〒920-0936
石川県金沢市兼六町一番地内
Tel:076-221-5508


 日本三名園の一つで、延宝4(1676)年、5代藩主前田綱紀が蓮池庭を造営したのを契機として、加賀藩の歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられた。回遊式の要素を取り入れながら、様々な時代の庭園手法を駆使してつくられた。敷地の広さを活かして、庭のなかに大きな池を穿ち、築山を築き、四阿や茶屋を置いて、そこに立ち寄りながら遊覧できる庭園となっている。作庭における基本的な思想は一貫して神仙思想であった。大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配し、植栽された多彩な樹木は四季折々の美しさを見せている。
 十三代斉泰のときには大改修が行われ、遠方の辰巳用水から池に水を導き、瀑布や曲水、噴泉など多彩な水景を造りだした。

醍醐寺三宝院庭園(だいごじさんぽういんていえん)

醍醐寺は平安時代に始まった名刹で座主が居住する三宝院の庭園。応仁・文明の乱により醍醐寺の山内は荒廃するが、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」を契機に復興され、庭園についても優れた庭師たちによって作庭された。


文化財種別:特別史跡・特別名勝

〒601-1325
京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
Tel:075-571-0002

ホームページ:www.daigoji.or.jp/garan/sanboin_detail.html


 醍醐寺は平安時代に理源大師聖宝が、「醍醐水」といわれる名水の湧く笠取山に観音像をまつったのが始まりとされる名刹。座主は三宝院に居住していたが、応仁・文明の乱で醍醐寺の山内は荒廃して、三宝院もまた失われた。荒廃した醍醐寺を建て直したのが義演准后で、豊臣秀吉の庇護を受けて寺を再興した。豊臣秀吉は慶長3(1598)年、金剛輪院のあった地に三宝院を新たに造るにあたり、自ら縄を張り3人の庭奉行にもとあった庭を修築させたといわれる。翌年の慶長3年8月に秀吉は亡くなるが、その後は義演の手で修築が続けられ、義演が亡くなるまで27年に渡って築庭された。
 庭は中央に池を置き、3島を設けて9基の橋を架けて南側に築山を築き、東側には滝が架けられている。池の畔には多くの景石が置かれて、その中には歴代の天下人が所有していた名石の「藤戸石」も置かれた。ゴヨウマツやシイ・カシの常緑樹の大木が立ち、「豪放」と「清雅」な趣をあわせ持っている。

慈照寺庭園(じしょうじていえん)

 東山文化を代表する臨済宗相国寺(しょうこくじ)派に属する禅寺の庭園。庭園は夢窓疎石(むそうそせき)が作庭した西芳寺(さいほうじ)の庭園をモデルに造られており、月待山、大文字山を環境とした池泉回遊式庭園である。


文化財種別:特別史跡・特別名勝

〒606-8402
京都府京都市左京区銀閣寺町2番地
Tel:075-771-5725


 東山文化を代表する臨済宗相国寺派に属する禅寺の庭園。室町幕府3代将軍足利義満の北山殿金閣鹿苑寺にならって、8代将軍足利義政が隠居生活のために造営した山荘東山殿の庭であり、夢窓疎石が作庭した西芳寺の庭園を模しているといわれる。
 平地には池泉回遊式庭園、裏山には枯山水庭園の上下2段で構成され、池泉回遊式庭園は錦鏡池と称される池を中心に、銀閣と東求堂が配されている。これらの庭園は、江戸時代初期の改修で景観が大きく変わっている。
 庭園を構成する要素のうち、注目されるのが白砂で造られた銀沙灘と円錐台形の向月台で、中国・西湖の波打つ風景を描写した銀沙灘と、富士山状に造られた向月台は、月に照らされる光の反射を意識して造営されたといわれる。

二条城二の丸庭園(にじょうじょうにのまるていえん)

二の丸庭園は,寛永3(1626)年の後水尾天皇行幸のために作事奉行・小堀遠州のもとで改修された庭園。池の中央に蓬莱島,左右に鶴亀の島を配し,二の丸御殿の大広間,黒書院,行幸御殿跡の3方向から鑑賞できるように工夫されている。現存する城郭の築山泉水庭として最も優れたものと言われている。


文化財種別:特別名勝

〒604-8301
京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
Tel:075-841-0096


 二の丸庭園は,寛永3(1626)年の後水尾天皇行幸のために幕府の作事奉行・小堀遠州のもとで行幸御殿に面する庭園として改修された庭園である。
 その後,行幸御殿は移築,撤去されたが,二の丸御殿の大広間,黒書院,行幸御殿跡の3方向から鑑賞できるように工夫された庭園は,変化に富む曲汀を有し,池の中には3箇所の中島(蓬莱島,鶴島,亀島)を置き,自然石の4橋が架けられ,北西隅には3段の瀧を落として池の汀や池辺に多くの石が組まれている。庭園の西部は,マツ,カヤ,クロガネモチ,アラカシ,シイ,トベラ,ムクノキ,サクラ,モミジ等の樹林が庭園の背景を成し,南部は広い芝生となって多数の松がほどよく点在している。庭園内の石組は特に豪宕の趣を有し,現存する城郭の築山泉水庭として最も優れたものと言われている。

本願寺大書院庭園(ほんがんじだいしょいんていえん)

書院の東側にある枯山水の中庭で、「虎渓の庭」の名で知られる。
白砂敷の上に2つの中島が築かれている。枯滝、岩組は大らかで、力強い様が表され、桃山時代書院式林泉の特色を表現している。


文化財種別:特別名勝・史跡

〒600-8501
京都府京都市下京区堀川通花屋町下る
Tel:075-371-5181


 親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗本願寺派の本山で、西本願寺ともいう。大書院庭園は書院の東側にある枯山水の中庭で、「虎渓の庭」の名で知られる。
 庭園は平庭で、東側に築山が築かれており、数多くの立石が組まれ、5つの灯籠が据えられている。中央よりやや北寄りに、二個の巨石を並立した枯滝の石組みが構えられている。玉石敷きで表された枯流は海を表す白砂敷きに続き、急流が大海に注ぐ様子を表している。2つの中島は、色鮮やかな石を用いて護岸石組みがされ、反りのある石橋と自然石の小橋が架けられている。石組みの間に配植されたソテツは桃山時代の書院式林泉庭園の特色を持ち、力強く堂々とした岩組や枯滝は、桃山時代の作庭精神がよく表れている。

鹿苑寺庭園(ろくおんじていえん)

 金閣寺には舎利殿の前面に広がる鏡湖池と、北側の一段高いところにある安民沢と呼ばれる2つの池がある。池には大文字山から水が流入しており、大雨による多量の出水時に土砂が流入するため、安民沢には鏡湖池の沈砂池としての機能がある。


文化財種別:特別史跡・特別名勝

〒603-8361
京都府京都市北区金閣寺町一番地
Tel:075-461-0013


 室町幕府3代将軍足利義満は、将軍職を子の義持に譲り出家した後、応永4(1397)年に西園寺家の山荘を譲り受け、北山殿を造営した。義満の死後、その遺命によって寺とされ、義光の法号である鹿苑院にちなんで鹿苑寺と称された。
 金閣寺には舎利殿(金閣)の前面に広がる鏡湖池と、北側の一段高いところにある安民沢と呼ばれる2つの池がある。
 舎利殿の前面に広がる鏡湖池は池泉回遊式庭園で、岸や中島に景石を多用している。
 池の水は、大文字山から流入しており、大雨による多量の出水時には土砂が流入するため、一段高い安民沢に流入させ、水中の砂泥を沈下させてから鏡湖池へ流しだす沈砂池としての機能がある。金閣の裏側にある安民沢は、景石も少なく、西園寺公経が鎌倉時代に造営した池と考えられている。

大仙院書院庭園(だいせんいんしょいんていえん)

 大仙院の開山古岳和尚によって作庭された。庭園は本堂の四方に展開しており、庭を廊橋などで区分し、山、川、海を表現している。狭い敷地に多数の岩石を布置し、山水の景色を表現した枯山水の名園。


文化財種別:特別名勝・史跡

〒603-8231
京都府京都市北区紫野大徳寺町54-1 
大仙院
Tel:075-491-8346


 大仙院は、京都市街地の北、大徳寺の中にある塔頭寺院で、永正6(1509)年に大徳寺第76世の大聖国師古岳宗亘が開いた寺院で、その庭園も古岳和尚によって作庭されたことが、大仙院に伝わる文書から判っている。
 庭園は本堂の四方に展開しており、南側は玄関脇の白砂敷に二つの盛砂を並べて大海を表している。東側の庭は北東隅に大石で組まれた枯滝石組が置かれツバキやゴヨウマツを植えて深山幽谷の景色を表現している。枯滝石組の下方には石橋が架けられ、その下流には白砂敷の上に船の形に似た石が据えられて海に続く大河を表している。山、川、海を表現している
庭を中央で二分している廊橋は、明治時代の終わりに撤去されたことがあり、山と海がつながった状態になっていたが、昭和35(1960)年に復元され、名園本来の姿が取り戻された。

岡山後楽園(おかやまこうらくえん)

水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに、日本三名園と称される。
貞享3(1686)年に岡山藩2代藩主池田綱政が、安らぎの場として造らせた庭園。当初は園内の建物から眺望を楽しむ庭園であったが、後継の藩主による改築で回遊性が備えられた。江戸時代からの様子がよく保存された庭園。


文化財種別:特別名勝

〒703-8257
岡山県岡山市北区後楽園1-5
Tel:086-272-1148

ホームページ:https://okayama-korakuen.jp/


 貞享3(1686)年に岡山藩2代藩主池田綱政が、安らぎの場として築庭させた庭園である。創設時は園内の建物から眺望が楽しめるように造られた。
 次の3代藩主継政は建物を大きく改築し、園内中央に築山を築いてふもとに水路を巡らし、沢の池と廉池軒の池を結ぶひょうたん池を造るなどの手を加え、園内をめぐり歩いて楽しめる回遊式を取り入れた庭園とした。藩主が訪れた際の居間であった延養亭からは、広がる芝生地と大きな池に庭園東のカエデ林の「千入の森」など園内の景勝が一望できる。
 昭和の戦災により岡山城が焼失したため、往時の借景は失われたが、今も東南方向に園外の操山を見渡すことができる。庭園の中央約6mに達する築山の頂上からは、園内に広がる沢の池の全貌や延養亭、芝生や井田を見晴らすことができる。大名庭園としての地割など古くからの形状が保たれた庭園である。

栗林公園(りつりんこうえん)

元は高松藩藩主松平氏の別邸で、明治時代1875年に香川県が管理・運営する公園となった。広大な敷地に6つの池、13の築山を有し大名庭園の中でも最大級で、文化財に指定された庭園の中では日本一の広さをもつ。


文化財種別:特別名勝

〒760-0073
香川県高松市栗林町1−20−16
Tel:087-833-7411

ホームページ:my-kagawa.jp/ritsuringarden


 本園は南庭と北庭と二つからなる。南庭は江戸時代初期の大名庭園の姿を今日に伝え、回遊式庭園に見られる地割りや石組みを有し、北庭は元禄年間に造園され鴨場として使われてきた場所であったが、大正時代初期に宮内省の市川之雄の設計で改修され、その後一部を改変して今日に至っている。紫雲山を背景にした広大な敷地に6つの池、13の築山を有している。
 園の池や樹木、石組は雅趣に富んでおり、工作物が巧みに配置されている。紫雲山には、うっそうとした樹木が自然の味わいを加え、山頂からはすばらしい景色が眺望できる。明治30(1897)年に山の東斜面にあった国有林を新たに加えて現在の敷地となった。
 紫雲山を含めた面積は、約75ヘクタールにも及び、文化財に指定された庭園では日本一の大きさを誇っている。

識名園(しきなえん)

旧琉球王家別邸の庭園。王族の保養や中国からの外交正使冊封使の接遇などに利用された。湧水を利用した池に2つの島を置き、3つの中国風の橋が架けられている。温帯性植物と熱帯性植物とで植物景観が作られている。池の周りを歩きながら景色の移り変わりを楽しめる廻遊式庭園。


文化財種別:特別名勝

〒902-0072
沖縄県那覇市字真地421−7
Tel:098-855-5936

ホームページ:www.city.naha.okinawa.jp/


 寛政11(1799)年までに築造された旧琉球王家の別邸の林泉庭園で、首里城の南あったことから南苑と称された。王族の保養や外交正使冊封使の接遇などに利用された。
 湧水を利用した池に2つの島を置き、3つの中国風の橋が架けられている。園の南端に「勧耕台」と称される展望台があり、広く見晴らすことができる。
 園にはマツ、ウメ、ヤナギ、サルスベリなどの温帯性植物と、フクギ、アカギ、デイゴなどの熱帯性植物が植えられ、常夏の沖縄で、四季を感じられる植物景観を作っている。
 大名庭園でみられる回遊式庭園ながら、直進しかできないマジムン(魔物)を防ぐためにS字に曲がった石畳道、中国の太湖石を模した奇岩、舟遊びの際に舟をつけた「舟揚場」など、琉球ならではの造作を見ることができる。