特別史跡」カテゴリーアーカイブ

特別史跡一覧

特別史跡に指定された庭園の一覧です。

特別史跡の場所

小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)

江戸寛永年間1625年、水戸徳川家の江戸中屋敷(後の上屋敷)の庭として神田上水の分流を引き入れて築造された。 江戸時代初期の典型的な大名庭で、池を中心にした回遊式泉水庭園。 1952年文化財保護法によって特別史跡及び特別名勝に指定される。


文化財種別:特別史跡・特別名勝

〒112-0004
東京都文京区後楽1−6−6
Tel:03-3811-3015

ホームページ:teien.tokyo-park.or.jp/contents/index030.html


 江戸時代、寛永2(1625)年に水戸藩の初代藩主徳川頼房が築造に着手し、その後、2代光圀に引き継がれて完成した。光圀は、明の遺臣であった儒学者の朱舜水を儒臣として登用し、中国趣味を取り入れて作庭している。庭園は小石川台地の先に位置しており、神田上水を利用して池を中心とした「回遊式築山泉水庭園」である。園名は朱舜水の選名で『岳陽楼記』の「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から命名した。江戸時代大名庭の初期のものとして典型的なものである。
 築造されてから後、安政2(1855)年の大地震、明治13(1880)年に涵徳亭が焼失するなど度重なる変化を受けているため、築造物の中には痕跡を残すだけのものもあるが、池泉と樹林は、往時の美しさを今も残している。

旧浜離宮庭園(きゅうはまりきゅうていえん)

潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。 潮入の池とは、海水を引き入れ潮の干満によって池の趣を変えるもの。 現在も実際に海水が出入りする唯一の庭園。 1952年国の文化財保護法に基づき特別名勝及び特別史跡に指定された。


文化財種別:特別史跡・特別名勝

〒104-0046
東京都中央区浜離宮庭園1−1
Tel:03-3541-0200

ホームページ:teien.tokyo-park.or.jp/contents/index028.html


 潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。潮入の池とは、海水を引き入れ潮の干満によって池の趣を変えるもの。東京都に残る大名庭園のうち、現在も実際に海水が出入りする唯一の庭園である。
 江戸時代初期(寛永年間)までは一面の芦原で、将軍家の鷹狩の場所であった。承応3(1654)年に、甲府宰相の松平綱重が甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建て、後に六代将軍家宣の時、将軍家の所有となり浜御殿と改められた。
 庭園は北側と南側で様子が異なっており、南側は海水を引き込んだ大泉水を中心とした景観が造られている。池の周囲は散策できる回遊路が廻らされ、各所に橋が架けられており、池辺や湖上からの景色を楽しむことができる。園の東側と西側それぞれに鴨場が設けられている。往時は、南東にお台場と房総の山々を遠望し、西方は遙かに富士山を望んだといわれるが、現代では東京湾のウォーターフロントの高層ビル群が背景となっている。

醍醐寺三宝院庭園(だいごじさんぽういんていえん)

醍醐寺は平安時代に始まった名刹で座主が居住する三宝院の庭園。応仁・文明の乱により醍醐寺の山内は荒廃するが、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」を契機に復興され、庭園についても優れた庭師たちによって作庭された。


文化財種別:特別史跡・特別名勝

〒601-1325
京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
Tel:075-571-0002

ホームページ:www.daigoji.or.jp/garan/sanboin_detail.html


 醍醐寺は平安時代に理源大師聖宝が、「醍醐水」といわれる名水の湧く笠取山に観音像をまつったのが始まりとされる名刹。座主は三宝院に居住していたが、応仁・文明の乱で醍醐寺の山内は荒廃して、三宝院もまた失われた。荒廃した醍醐寺を建て直したのが義演准后で、豊臣秀吉の庇護を受けて寺を再興した。豊臣秀吉は慶長3(1598)年、金剛輪院のあった地に三宝院を新たに造るにあたり、自ら縄を張り3人の庭奉行にもとあった庭を修築させたといわれる。翌年の慶長3年8月に秀吉は亡くなるが、その後は義演の手で修築が続けられ、義演が亡くなるまで27年に渡って築庭された。
 庭は中央に池を置き、3島を設けて9基の橋を架けて南側に築山を築き、東側には滝が架けられている。池の畔には多くの景石が置かれて、その中には歴代の天下人が所有していた名石の「藤戸石」も置かれた。ゴヨウマツやシイ・カシの常緑樹の大木が立ち、「豪放」と「清雅」な趣をあわせ持っている。

慈照寺庭園(じしょうじていえん)

 東山文化を代表する臨済宗相国寺(しょうこくじ)派に属する禅寺の庭園。庭園は夢窓疎石(むそうそせき)が作庭した西芳寺(さいほうじ)の庭園をモデルに造られており、月待山、大文字山を環境とした池泉回遊式庭園である。


文化財種別:特別史跡・特別名勝

〒606-8402
京都府京都市左京区銀閣寺町2番地
Tel:075-771-5725


 東山文化を代表する臨済宗相国寺派に属する禅寺の庭園。室町幕府3代将軍足利義満の北山殿金閣鹿苑寺にならって、8代将軍足利義政が隠居生活のために造営した山荘東山殿の庭であり、夢窓疎石が作庭した西芳寺の庭園を模しているといわれる。
 平地には池泉回遊式庭園、裏山には枯山水庭園の上下2段で構成され、池泉回遊式庭園は錦鏡池と称される池を中心に、銀閣と東求堂が配されている。これらの庭園は、江戸時代初期の改修で景観が大きく変わっている。
 庭園を構成する要素のうち、注目されるのが白砂で造られた銀沙灘と円錐台形の向月台で、中国・西湖の波打つ風景を描写した銀沙灘と、富士山状に造られた向月台は、月に照らされる光の反射を意識して造営されたといわれる。

鹿苑寺庭園(ろくおんじていえん)

 金閣寺には舎利殿の前面に広がる鏡湖池と、北側の一段高いところにある安民沢と呼ばれる2つの池がある。池には大文字山から水が流入しており、大雨による多量の出水時に土砂が流入するため、安民沢には鏡湖池の沈砂池としての機能がある。


文化財種別:特別史跡・特別名勝

〒603-8361
京都府京都市北区金閣寺町一番地
Tel:075-461-0013


 室町幕府3代将軍足利義満は、将軍職を子の義持に譲り出家した後、応永4(1397)年に西園寺家の山荘を譲り受け、北山殿を造営した。義満の死後、その遺命によって寺とされ、義光の法号である鹿苑院にちなんで鹿苑寺と称された。
 金閣寺には舎利殿(金閣)の前面に広がる鏡湖池と、北側の一段高いところにある安民沢と呼ばれる2つの池がある。
 舎利殿の前面に広がる鏡湖池は池泉回遊式庭園で、岸や中島に景石を多用している。
 池の水は、大文字山から流入しており、大雨による多量の出水時には土砂が流入するため、一段高い安民沢に流入させ、水中の砂泥を沈下させてから鏡湖池へ流しだす沈砂池としての機能がある。金閣の裏側にある安民沢は、景石も少なく、西園寺公経が鎌倉時代に造営した池と考えられている。