九州・沖縄地方」カテゴリーアーカイブ

九州・沖縄地方

この地域の文化財指定庭園の場所

旧伊藤傳右エ門氏庭園(きゅういとうでんえもんしていえん)

北部九州、筑豊の炭鉱王・伊藤傳右エ門が造営した本邸の庭園。庭園は、玄関前の導入部、主屋を含む一群の建築の間に造られた小規模な二つの中庭、敷地の北半部に展開する広大な池泉庭園と、三つの空間から成る。


文化財種別:名勝

〒820-0066
福岡県飯塚市幸袋300番地ほか
Tel:0948-22-9700

ホームページ:www.city.iizuka.lg.jp/shokokanko/kyoiku/leisure/kanko/dennemon/shite.html

ホームページ:www.kankou-iizuka.jp/denemon/


 北部九州、筑豊の炭鉱王・伊藤傳右エ門が造営した本邸の庭園。傳右エ門は炭鉱の経営に携わる傍ら、衆議院議員を二期努め、鉱業に関する法制度の整備や洪水が相次いだ遠賀川の改修にも尽力した。その遠賀川中流の左岸堤防に近接する微高地に構えられていた傳右エ門の本邸は、炭鉱事業の伸展とともに宅地が拡大され、大正時代前半に主屋北側の池泉庭園が概ね出来上がり、昭和初期までには現在見られる建物と庭園のほぼ全容が完成した。
 庭園は、造園的な意匠がこらされた玄関前の導入部と建築の隙間に造られた小規模な二つの中庭、そして敷地北側に造られた広大な池泉庭園の、大きく三つの空間で構成されている。池泉庭園にある2つの池泉には、東には花崗岩で、西には凝灰岩で造られた噴水施設があり、庭園の流れはすべて底部がセメントモルタルで塗り固められ、昭和初期に流行した庭園の意匠と構造の特質が見られる。

藤江氏魚楽園(ふじえしぎょらくえん)

作庭の年代は明らかでないが、園の命名が1862年との記録から、江戸時代中期ごろの作庭と考えられる。庭園は山麓に設けられ、池を中心として滝石組を山よりに据え、中島を配し、石橋が3か所に架けられている。


文化財種別:名勝

〒827-0001
福岡県田川郡川崎町大字安真木6388
Tel:0947-72-7777


 「魚楽園」という名前は、文久2(1862)年に江戸時代の漢学者村上佛山氏が、中国の詩経「大雅篇」の一文から引用して命名したといわれている。作庭の年代は明らかでないが、園の命名の記録から、江戸時代中期ごろの作庭と考えられる。
 庭園は山の麓に神仙蓬莱思想に基づいて造られており、池を庭の景色の中心として据え、池中に蓬莱島に見立てた島が配されている。滝石組を山よりに据え、石橋を3か所に架している。池の周囲にはカエデ、ツバキ、モクセイ、ソテツ、その下にツツジが植栽され、背後の山にはカエデ、アカマツ、スギなどが茂る樹林を控えて静寂幽邃な景観をみることができる。2018年、西日本豪雨の被害にあい、庭園は全面的に毀損し現在観賞はできない状態となっており、復興が待たれている。

水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)

湖に見立てた池には小島があり、列で配置された渡石の背後には、ゆるやかな起伏の築山が仕立てられている回遊式庭園。池の水は湧水であり渾々と清水が湧いている。園名の「成趣園」は、陶淵明の詩「帰去来辞」に由来する。


文化財種別:名勝・史跡

〒862-0956
熊本県熊本市中央区水前寺公園8−1
Tel:096-383-0074

ホームページ:www.suizenji.or.jp


 寛永9(1632)年肥後細川家初代藩主・細川忠利が鷹狩の折に、この地を気に入り、御茶屋を置いた。その後、三代藩主網利のときに庭園が完成した。庭園様式は回遊式庭園であり、陶淵明の詩「帰去来辞」より成趣園と命名された。
 庭園は、湖に見立てた池があり、小島が置かれている。列状に配置された渡石の背後には、ゆるやかな起伏が続く築山が仕立てられている。池の水は湧水であり渾々と清水が湧いている。
 元禄時代には、四阿も数多く造られて楽しまれたが、宝暦の改革で建物は酔月亭一つを残して撤去され、樹木も松を残すのみとなる。明治時代になり、版籍奉還で一時、官有地となった。
 園の北側には、細川藤孝・忠興以下歴代の藩主がまつられる出水神社がある。

妙国寺庭園(みょうこくじていえん)

庭園は本堂の南側に造られている。背後にある米ノ山の自然林を借景として、3カ所の築山と池には中島を置き木橋が架けられ、所々に庭石が配されている。庭の東から南にかけてシイノキの古木が生茂り、そこにアカマツの巨木が混じる。


文化財種別:名勝

〒883-0001
宮崎県日向市細島373
Tel:0982-52-2486


 妙国寺は、薩摩阿闍梨日叡上人が康永年間(1342〜1345)に開山したと伝えられる日蓮宗の名刹であり、庭園は本堂の南側に造られている。庭の東から南にかけて、背後の米ノ山の山すその斜面を庭の一部として、3カ所の築山を築いて、池の中央に中島を置き木橋が架けられている。池の辺に沿って様々な石が配されており、特に中島の周囲辺には立石による石組みが配されている。池の東側は山すその斜面がそのまま庭の景色として組み込まれており、斜面の一部狭く奥まったところには、花崗岩の岩壁に加工を施して階段状に造り、山からの水を引き込めるように造られている。引き込んだ水はそのまま池へと落とし込まれている。シイノキの古木が生茂り、そこにアカマツの巨木が混じる斜面が、広くない庭に奥行きを持たせている。

仙巌園附花倉御仮屋庭園(せんがんえんつけたりけくらおかりやていえん)

仙巌園は薩摩藩主島津家の別邸。照葉樹林が生い茂る磯山を北側にみて下に位置する場所に築造されている。南東には錦江湾を隔てて桜島を一望できる。庭園の滝、溪流の護岸、石橋等巨石を用いた豪宕な石組はいちじるしい改変を受けずに現代に残されている。


文化財種別:名勝

〒892-0871
鹿児島県鹿児島市吉野町9700−1
Tel:099-247-1551


 万治元(1658)年、島津家19代光久の別邸として、家老鎌田出雲守の旧宅であった大磯下津浜門屋敷に御仮屋を築いたのが始まり。「仙巌園」の名は、中国江西省の景勝地、龍虎山仙巌に似ていることに由来するとされている。
 照葉樹林が生い茂る磯山を北側にみて下に位置する場所に築造されており、南東には錦江湾を隔てて桜島の全容を借景とする。庭園は、建物の前を広く取って、海に向かって二段になっており、そこに石組みや石灯籠が置かれている。当初は下庭部分はなかった。道路(現国道10号線)の開通に伴って、石垣と植栽を造成して景観が変化している。
 花倉御仮屋は仙巌園の東およそ500mのところにあり、幕末の天保初年に島津家の離舘として造営され、時を経ずして廃された。しかし、庭園の滝や溪流の護岸、石橋などの巨石を用いた石組はいちじるしい改変を受けずに残され、江戸時代末期の景観を今に伝えている。(花倉御仮屋は現在非公開)

旧島津氏玉里邸庭園(きゅうしまづしたまさとていていえん)

「上御庭」と呼ばれる池庭と、一段低い西半部に「下御庭」と呼ばれる茶室の庭園が造られた。上御庭は書院座敷の南庭として造られたもので、東側に3つの築山と楕円形の池を持ち、下御庭は北寄りに茶室が建ち、その南側に広く池庭が展開する。


文化財種別:名勝

〒890-0012
鹿児島県鹿児島市玉里町27番20号
Tel:099-222-2627

ホームページ:www.tamazatotei-teien.jp


 鹿児島市の北部丘陵、愛宕山の西麓に位置する。島津家第27代当主、島津斉興によって天保6(1835)年に造営されたと伝えられている。敷地の東側半分には、かつて主屋建築群が建っていた平坦地があり「上御庭」と呼ばれる池庭が造られ、一段低い西側半分には、「下御庭」と呼ばれる茶室の庭園が造られた。
 上御庭は書院座敷の南庭として造られたもので、東側に3つの築山と楕円形の園池が造られている。池に注ぐ流れの石組は、浸食された海岸の石を用い、複数の流れから成る注ぎ口は渓流を模している。中島は、この池の別称「亀の池」の由縁となった亀の姿をかたどった岩が配置されている。茶室からは、樹木越し南方に山を望むことができる。
 下御庭は茶室の東側に渓谷をかたどった滝流れが造られ、そこから茶室の南東隅を回り込んで、自然石の大石橋の下を潜り滝となって池に注ぐ。中島や巨石、十数基の石灯籠など独特の意匠を持っている。

識名園(しきなえん)

旧琉球王家別邸の庭園。王族の保養や中国からの外交正使冊封使の接遇などに利用された。湧水を利用した池に2つの島を置き、3つの中国風の橋が架けられている。温帯性植物と熱帯性植物とで植物景観が作られている。池の周りを歩きながら景色の移り変わりを楽しめる廻遊式庭園。


文化財種別:特別名勝

〒902-0072
沖縄県那覇市字真地421−7
Tel:098-855-5936

ホームページ:www.city.naha.okinawa.jp/


 寛政11(1799)年までに築造された旧琉球王家の別邸の林泉庭園で、首里城の南あったことから南苑と称された。王族の保養や外交正使冊封使の接遇などに利用された。
 湧水を利用した池に2つの島を置き、3つの中国風の橋が架けられている。園の南端に「勧耕台」と称される展望台があり、広く見晴らすことができる。
 園にはマツ、ウメ、ヤナギ、サルスベリなどの温帯性植物と、フクギ、アカギ、デイゴなどの熱帯性植物が植えられ、常夏の沖縄で、四季を感じられる植物景観を作っている。
 大名庭園でみられる回遊式庭園ながら、直進しかできないマジムン(魔物)を防ぐためにS字に曲がった石畳道、中国の太湖石を模した奇岩、舟遊びの際に舟をつけた「舟揚場」など、琉球ならではの造作を見ることができる。

石垣氏庭園(いしがきしていえん)

石垣家の祖先の大浜親雲上が、首里の庭園師・城間親雲上の設計で1819年頃に築造した。主に琉球石灰岩が使われている。5つの石組みを北から南へと次第に低く築き、石橋を架け、枯れ滝を落とすなど日本庭園の様式をふまえながら、築山にソテツを植えるなど、地方色の濃い枯山水庭園。


文化財種別:名勝

〒907-0024
沖縄県石垣市新川287
Tel:0980-82-2720


 石垣市新川にある石垣家の庭園。石垣家は、琉球王朝時代に大浜間切地域の頭職を輩出した旧家。大浜間切地域は、現在の石垣島中部と西表島西部、波照間島を含む地域である。庭園の作庭年代は明らかでないが、石垣家に伝わる「庭作不審書」という造園の設計書の記載から、文政2(1819)年頃と推察されている。設計は宮良殿内庭園と同じ首里の庭園師・城間親雲上によるものとされている。
 庭園は、築山がおかれ、5つの石組みを北から南へと次第に低く築いて、枯滝を組み、石橋を架けた枯山水式の日本庭園となっている。石組みの石は、地元に産出する琉球石灰岩の自然石が使用されており、植栽にはフクギやアダンなど八重山に自生する植物が使われている。南国の雰囲気をまとった庭園である。