旧新発田藩下屋敷(清水谷御殿)庭園(きゅうしばたはんしゅしもやしき(しみずだにごてん)ていえん)

越後を代表する大名庭園。江戸時代初期の万治元(1658)年に建立された溝口氏の下屋敷清水谷御殿の庭園で元禄年間(1688~1704)に作庭された。
下屋敷・御茶屋それぞれに異なった趣の庭園が良好に保存され、公儀茶道方が度々下向して指導作庭されたことがわかる貴重な庭園である。


文化財種別:名勝 

957−0056
新潟県新発田市大栄町7−9−32
0254-22-2659


 慶長3(1598)年から江戸時代を通じて、蒲原平野の経営に努めた溝口氏の下屋敷に作られた庭園。
 御殿建立後に幕府茶道方の縣宗知を招いて作庭の指導を受け、元禄年間(1688~1704)に清水谷、五十公野、法華寺などの庭園が完成した。清水谷の庭園は大池泉を中心とした池泉回遊式庭園で、南の最奥部に築山を築き、池は左右に湾入して水面に広がりを持たせている。池辺には左手に州浜、右手に岩を組んだ険しい岬の景色を創り出しているほか、大小の中島が設けられ水面にせり出すように亭が造られている。中絞りの池の形は前後の水面を大きく見せる効果を生んでおり、往時の庭園地割が良く保存された大名庭園である。
 五十公野御茶屋は藩主の別邸で、参勤交代時に旅装を改めたほか、茶寮として重臣にも開放し遊楽の場とした。池や緩やかな起伏の築山を設けてスギやマツを植え、出島にはゴヨウマツ、御茶屋近くにはウメを植えるなど植物観賞を中心とした庭園で、石組みはほとんど施されておらずゆったりとした造りとなっている。