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名古屋城二之丸庭園(なごやじょうにのまるていえん)

17世紀前半、名古屋城築城後しばらくして二之丸御殿の北側に造営された庭園。江戸時代から明治にかけ、改変されたものの、江戸時代の築山や大形の庭石、青石を用いた枯滝石組などが残存する城郭庭園として貴重。


文化財種別:名勝

〒460-0031
愛知県名古屋市中区二の丸1番、2番
Tel:052-231-1700

ホームページ:www.nagoyajo.city.nagoya.jp


 名古屋城内二之丸にある庭園で、最初の築庭後、二度にわたって大きく改変された。最初は二之丸御殿の造営に伴って築庭され、尾張藩初代藩主義直が傾倒していた儒教思想を取り入れた庭園であった。江戸時代はじめの庭の様子を表した絵図には、巨岩や園地に中国風建物をところどころに配した庭の姿が描かれている。
 文政年間(1818~1830)頃に、一橋家から尾張藩を継いだ十代藩主斉朝により、茶席や築山を加えた本格的な和様の回遊式庭園として改修、拡張された。
 明治時代になると陸軍が入り、江戸時代の建物とともに庭園も取り払われたが、庭の中核をなす北西部分は残され、その南側に新たに前庭が整備された。
 昭和28(1953)年、庭の北西部分と前庭が名勝に指定された。その後の発掘調査及び史料調査により、庭園の跡が良好な状態で地下に保存されていることが確認され、平成30(2018)年に庭園のほぼ全域が名勝として追加指定された。
 江戸時代の築山や大形の庭石、青石などを用いた枯滝石組などが残存している。藩主が居住した御殿の庭園としては日本一の規模である。

旧龍性院庭園(きゅうりゅうしょういん)

 


文化財種別:名勝 

〒471-0361
愛知県豊田市猿投町瀬戸田
(旧龍性院庭園は、一般公開はしていません)

旧龍性院庭園は、愛知県豊田市の猿投山(標高629m)の南麓に位置します。庭園の造られた龍性院は、式内社である猿投神社の神宮寺の一つで、14世紀開創と考えられています。廃仏毀釈により慶応4年(1868)に廃寺となりましたが、庭園は破却を免れました。 

庭園の造営についての資料は残されていませんが、記録類から18世紀末には庭園の存在がうかがえます。また、1830年から60年頃の制作とされる『龍性院家相図』には、客殿等の建築物と庭園が描かれますが、発掘調査から客殿等の建築は17世紀前半と推察され、建築物との位置関係から庭園もその頃に造られたと考えられます。 

庭園は東側にあった客殿から観賞するよう造られています。右奥に最も大きな築山を築き、その裾付近に滝が造られます。築山は左奥にもあり、右奥と左奥の築山の間をなだらかな峰が結びます。『龍性院家相図』には左奥の築山の上に草庵風の建物が描かれ、その礎石と考えられる石材が残ります。滝から続く池は左右に長く、左端で手前に直角に折れ曲がります。池には出島、岬等が造られ、石橋が架かり、護岸の石組は随所に大振りの石を配置しながら入り組んだ曲線を描きます。『龍性院家相図』では池が青く描かれますが、水は涸れており、取水及び排水の経路は不明です。植栽は、当時のものは残されていませんが、『龍性院家相図』には、マツ類、円柱状・四角柱状・半球状に刈り込んだ中低木類が見られます。