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多賀大社庭園(たがたいしゃていえん)

安土桃山時代に作庭された庭園で奥書院と呼ばれる書院造りの建物から眺めるようにつくられている。大きな木々と築山、大小さまざまな自然石が見事に配され、美しい曲線で表された石組み護岸の池に鶴島、亀島が浮かぶ。


文化財種別:名勝 

〒522-0341
滋賀県犬上郡多賀町多賀604
Tel:0749-48-1101

ホームページ:www.tagataisya.or.jp/about/


 安土桃山時代に作庭された庭園で奥書院と呼ばれる書院造りの建物から眺めるようにつくられている池泉鑑賞式庭園である。境内を囲む鎮守の森の大きな木々と築山、大小さまざまな自然石が見事に配され、美しい曲線で表された石組み護岸の池に鶴島、亀島が浮かぶ。庭園の中央に不動三尊石、右隅に枯滝、その下には自然石の石橋が渡されている。書院東側に続く庭にも趣のある石がいくつか配され、苔の緑との対照が鮮やか。
 奥書院庭園の作庭は、豊臣秀吉が母大政所の病気治癒を祈願し快癒延命が成就した礼として天正16(1588)年に寄進した1万石によって成されたといわれている。

青岸寺庭園(せいがんじていえん)

曹洞宗の寺院、青岸寺の庭園。江戸時代初期に三世興欣が、彦根城の玄宮園、楽々園を築いた香取氏に作庭させたとされる。本堂裏手にあり、うっそうと茂る裏山を背景に、山腹を利用して築かれた庭園。


文化財種別:名勝 

〒521-0012
滋賀県米原市米原669
Tel:0749-52-0463

ホームページ:www.seiganji.org/


 曹洞宗の寺院、青岸寺の庭園。南北朝時代の初め(延文年間)に、近江源氏の佐々木京極道誉が自ら書写した法華経八巻を納めて米泉寺を建てたのがはじまりである。その後、永正年間の戦火により寺院のほとんどを焼失し、150年余りを経た江戸時代、慶安3(1650)年に再興され青岸寺となった。
 庭園は本堂裏手にあり、うっそうと茂る裏山を背景に、山腹を利用して築かれており、太尾山山麓の地形を利用した回遊式枯山水庭園で、空池を設け、石橋を架けて蓬莱島を作り、右手奥には枯滝を組んでいる。庫裏の前に建つ石灯籠は茶人好みの寄せ灯籠で庭に一段の景を添える。江戸時代初期に三世興欣和尚が、彦根城の玄宮園、楽々園を築いた香取氏に命じて延宝6(1678)年に作庭させたとされる。
青岸寺庭園では、枯山水の流れや池に小石や白砂を用いるかわりにスギゴケを用いて、水の流れが表現されており、雨のあとはスギゴケに染み込んだ水が伏流水のように湧いて出て本物の池へと姿を変える。そのため雨上がりの景色は格別となる。

光浄院庭園(こうじょういんていえん)

三井寺山内塔頭寺院のひとつ光浄院の庭園。各所にツツジ、サツキが密植され、山腹にはスギ・ヒノキ・マツなどが生い茂る。小規模ながら奥行のある味わい深い構成は近江の代表的な庭園といわれている。


文化財種別:史跡・名勝

〒520-0036
滋賀県大津市園城寺町246
Tel:077-522-2238

ホームページ:www.shiga-miidera.or.jp/index.htm


 三井寺山内塔頭寺院のひとつ光浄院の庭園。築造された年代は明確ではないが、客殿が建てられた慶長6(1601)年頃に造られたとみられる。
 池泉観賞式の庭園は、客殿と一体化した構成で、客殿南縁の柱が護岸の石の上に立つため、客殿の縁の直下から池となり、足もと近くまで水が湛えられ、池上建築に似た趣をみせている。
池は東西に長く続き、亀島に自然石の橋が架けられ、対岸の古滝を2個の立石、池中の夜泊石を3個の巨石から作っており、池周辺を固める石組は、自然石が選ばれて使われている。
 池の西南方は急傾斜地となっており、山腹にはスギ・ヒノキ・マツなどが生い茂り、各所にツツジ、サツキが密植されている。
小規模ながら奥行のある味わい深い構成は、近江の代表的な庭園といわれている。

善法院庭園(ぜんぽういんていえん)

築庭の年代は明確ではないが、江戸時代初期といわれる。1941年の集中豪雨による山津波で土砂に埋没したが、近年の復興整備による発掘調査でその全貌が明らかとなった。関連する建築物は現存しないが、庭園はかつての様子がよく保存されている。


文化財種別:史跡・名勝

〒520-0036
滋賀県大津市園城寺町246
Tel:077-522-2238

ホームページ:www.shiga-miidera.or.jp/index.htm


 善法院は三井寺の6碩室の子院。築庭の年代は明確ではないが、江戸時代初期といわれる。庭園は昭和9(1934)年に国の名勝・史跡に指定されたが、昭和16(1941)年の集中豪雨による山津波で土砂に埋没した。
しかし、庭園研究の大家・重森三玲による実測図が残されていたことと、林学者で造園の研究者の岡崎文彬らの指導のもと発掘調査が実施され、その全貌が明らかにされた。関連する建築物は現存しないが、庭園の池汀や石組みなどは保存されている。
 大津市歴史博物館のデータベースの記載によれば、書院の前に2つの池があり、中島や石橋、巨石による石組みなど、詳しい地割が判明していることがわかる。しかし、書院、庭園ともいまだ復元はされていない。

兵主神社庭園(ひょうずじんじゃていえん)

兵主神社本殿の南側、北に面して築造された庭園。1953年に国の名勝指定を受けた際には、鎌倉時代中期から末期のものと考えられていたが、その後に行われた修復整備事業の平安時代に特徴的な遺構が発見され、平安時代後期から末期にかけての作庭と判明した


文化財種別:名勝

〒520-2424
滋賀県野洲市五条566
Tel:077-589-2072


 兵主神社本殿の南側、北に面して築造された池泉回遊式庭園であり、心字形の池には、中島が置かれ石橋が架けられている。中島には祠があり、ほかにも出島や築山が築かれるなど、変化に富んでいる。
 近年の修復整備事業の際に池の水を抜いて発掘調査が行われ、平安時代に特徴的な「州浜」の遺構が発見された。作庭時期は鎌倉時代中期から末期のものと考えられていたが、遺構が発見されたことにより、平安時代後期から末期にかけての作庭と判明した。
 庭一面をスギゴケやハイゴケのみずみずしい緑が彩っており、春はツツジ、初夏は新緑、梅雨は菖蒲、秋はモミジ、冬は雪景色と四季折々に美しい姿がみられる。

玄宮楽々園(げんきゅうらくらくえん)

玄宮園と楽々園とより成り彦根城の北東、内堀と昔の内湖との間に位置する。江戸時代、延宝年間の築造と伝えられている。彦根城天守や茂った木々の美しい背景を借景とした景観とよく調和した優秀な大名庭園。


文化財種別:名勝(特別史跡)

〒522-0061
滋賀県彦根市金亀町3番地
Tel:0749-22-2742
(彦根城運営管理センター)


 回遊式の玄宮園と御殿の楽々園(槻御殿)から成り彦根城の北東、内堀と昔の内湖との間に位置する。江戸時代前期、延宝年間の築造と伝えられている。
 玄宮園には大池泉が穿たれ、元島、新島など4個の中島を置かれている。そして東部から北部にかけて築山が築かれて、園路がめぐらされている。園の主景は、巨石を組んだ元島とこれに相対して池に臨んで建てられた八景亭であり、庭園北部からは彦根城の天守とその樹林が背景となった美しい景観が眺められる。
 文化年間に槻御殿を増築し、玄宮園の一部を修補して奥向書院に伴う庭とした。楽々園には滝と流れの石組みが造られており、現在は枯山水となっているが、往時は導水施設が備えられ、給水されていた。