椿氏庭園(つばきしていえん)

旧津和野藩の城下町において、幕末から明治時代中期にかけて発展、成長した町民の住宅庭園である。庭の意匠や構成は近世から近代の坪庭の様式と共通するものがあり、近世以来の商家の名残をとどめた近代津和野における造園文化の発展を示す庭園である。


文化財種別:登録記念物(名勝地関係) 

〒699−5605
島根県鹿足郡津和野町後田ロ190
Tel:0856-72-0021


 分銅屋(椿家)は慶長年間(1596年〜)の頃より、現在地において、和蝋燭、鬢付油、菜種油、椿油等を製造販売していた。元禄15(1703)年、徳川幕府の命で、作成された「津和野藩町並図」には、すでに「分銅屋半兵衛」として現在と同じ場所に描かれており、津和野藩の「八人衆」の一人として認定されて、その印として暖簾名の家紋を鋳出した黄銅の花活(薄端)が下賜され、今日まで伝わっている。
 建物は、嘉永6(1853)年の津和野城下大火災後、同年すぐさま建て直された。大火の直後のため、材木の調達が困難であり、焼け残った建物の中から再利用できそうな材木や敷居などの廃材を集めて造作した、所謂「火事後普請」の家屋である。江戸時代の商家建築の典型的な「町屋造り」の形態を留めており、国の「登録有形文化財」として指定されいる。
 庭園は、中庭が「椿氏庭園」として「登録記念物」に指定されている。江戸時代の作庭とされ、嘉永6年の大火の痕跡(黒い焦げ跡や石割れ)を石組の踏石で確認することができる。江戸時代には、明かりが十分では無く、また、風を入れる必要があったため、当時の町屋では、一般的に中庭が作られていた。飛石と飛石の間には、全面に杉苔が群生しており、風流を醸し出している。