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酒井氏庭園(さかいしていえん)

庄内藩主酒井氏の旧御隠殿北面に残る築山泉水庭で、致道博物館内にある。 江戸時代中期に行われた書院庭園の様式と手法をよく残しており、東北地方では稀にみる典型的な書院庭園として貴重なことから、 1976年に国の名勝に指定された。


文化財種別:名勝 

〒997-0036
山形県鶴岡市家中新町10−18 
致道博物館内
Tel:0235-22-1199

ホームページ:http://www.chido.jp/


 現在は、致道博物館の敷地内にある。庄内藩主酒井氏の旧御隠殿北側に残る築山泉水庭。
 池の対岸には築山があり、その中腹に石が立てられ、庭の中心として他の造景物が配置されている。左側に枯滝を組んで渓谷のような風景をつくり、滝の下は荒磯風に仕立てている。右側に設けられた出島には枝を張り出したマツの木が植えられ、マツの左側前の水際に、亀頭の形をした珪化木の立石が水中に据えられている。その奥には深い入り江が造られており、緑陰の静かな景色をつくっている。 築造当時には、築山の向こう、遥か遠方の鳥海山を借景として取り入れられていた。
 江戸時代中期に行われた書院庭園の様式と手法をよく残しており、東北地方では稀にみる典型的な書院庭園である。

玉川寺庭園(ぎょくせんじていえん)

玉川寺庭園は1450年代に作庭され、1650年代の改修を経て今に伝えられる。 自然の山から流れ落ちる滝を配し、大きな池を中心とした池泉廻遊式蓬莱庭園。 全国でも珍しいクリンソウの純群落がある。 1987年に国の文化財名勝に指定されました。


文化財種別:名勝 

〒997-0121
山形県鶴岡市羽黒町玉川35
Tel:0235-62-2746


 玉川寺は出羽三山北西のふもとにあり、鎌倉時代の建長3(1251)年に曹洞宗の開祖道元禅師の高弟だった了然法明禅師によって開山されたと伝えられる。庭園は室町時代の1450年代に作庭され、江戸時代の1650年代に改修されている。広い池を中心とした池泉回遊式蓬莱庭園で、庭園の滝は自然の山から流れ入るように配置されている。池の辺には数多くの石組が置かれ、石と石の間には隙間なく丸く刈り込まれた低木類が植栽されている。飛び石の周囲など表土の出ているところは苔むして庭の景色に趣を添えている。全国でも珍しいクリンソウの純群落があることでも知られており、別名「九輪草の寺」ともいわれている。

總光寺庭園(そうこうじていえん)

本堂と庫裡書院から観賞するように築山と池泉を配置した築山林泉庭。 東の山頂に「峰の薬師堂」、山間に「中の薬師堂」が望まれ、不老の滝からの清流が波分け石を経て池泉に注いでいる。 1996年に国の名勝に指定され、「蓬莱園」と呼ばれる。


文化財種別:名勝 

〒999-6831
山形県酒田市字総光寺沢8
Tel:0234-62-2170

ホームページ:www.sokoji-sakata.com


 總光寺は、南北朝時代に高僧月庵良圓禅師が、峰の頂に薬師仏一体を祀って開山したのが始まりと伝わる曹洞宗の禅宗寺院である。
 境内は正面を西向きにされ、庭園は、本堂と庫裡の裏側に造られた築山林泉庭である。書院から庭を望むと、左手の最上段に滝石組が組まれて水を落とし、中央の築山脇を流れて池に注ぐ。池には平坦な中島が設けられて、池水が南西の隅から庫裏脇に落とされている。書院から庭に出ると、池の護岸石から五つの臼石の沢飛石を伝って中島に渡れる。中島の南北両端に大振りの石が据えられている。中島と池の東岸は近く一石の橋が架けられている。対岸に渡ってからは、斜め上方に疎らに飛石を打ち、左手の築山奥の草地へと続く回遊路でもある。
 江戸時代後期に完成した典型的な日本庭園であり、風格のある禅宗寺院の庭園である。

本間氏別邸庭園(鶴舞園)(ほんましべっていていえん(かくぶえん))

本間家四代・光道が築造した池泉廻遊式庭園。主屋の2階から鳥海山を借景として地形の変化に富んだ池泉庭園の全景を俯瞰することができる。藩主酒井氏は秀麗な鳥海山を望む建物に「清遠閣(せいえんかく)」と名付けたほか、池の中島の松に鶴が飛んできたことから、「鶴舞園」と名付けた。


文化財種別:名勝 

〒998-0024
山形県酒田市御成町7−7
公益財団法人 本間美術館
Tel:0234-24-4311

ホームページ:www.homma-museum.or.jp


 本間氏は、近世後期から近代にかけて日本海の海運業などを主軸に成長した豪商で東北三大地主として知られる。
 庭園のはじまりは江戸時代の文化10(1813)年に、庄内藩主・酒井忠器の領内巡検に先立って、本間氏の四代当主・本間光道が藩主の休憩所として別邸を構えたもの。その築造には、近世の港湾都市酒田を支えた荷役労働者の冬季における労働力を活用して造営した。
 庭園の様式は、主屋と池泉からなる回遊式庭園で、赤や青など色彩豊かな景石が用いられ、清遠閣の2階座敷からは,鳥海山を借景として地形の変化に富んだ池泉庭園の全景を俯瞰できる。巡検の際に来遊した藩主・酒井忠器は、鳥海山を望む建物に「清遠閣」と名付けた。また、池泉中島の松の木に鶴が舞い降りたことから、庭園に「鶴舞園」と名付けたといわれる。