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岡山後楽園(おかやまこうらくえん)

水戸の偕楽園、金沢の兼六園とともに、日本三名園と称される。
貞享3(1686)年に岡山藩2代藩主池田綱政が、安らぎの場として造らせた庭園。当初は園内の建物から眺望を楽しむ庭園であったが、後継の藩主による改築で回遊性が備えられた。江戸時代からの様子がよく保存された庭園。


文化財種別:特別名勝

〒703-8257
岡山県岡山市北区後楽園1-5
Tel:086-272-1148

ホームページ:https://okayama-korakuen.jp/


 貞享3(1686)年に岡山藩2代藩主池田綱政が、安らぎの場として築庭させた庭園である。創設時は園内の建物から眺望が楽しめるように造られた。
 次の3代藩主継政は建物を大きく改築し、園内中央に築山を築いてふもとに水路を巡らし、沢の池と廉池軒の池を結ぶひょうたん池を造るなどの手を加え、園内をめぐり歩いて楽しめる回遊式を取り入れた庭園とした。藩主が訪れた際の居間であった延養亭からは、広がる芝生地と大きな池に庭園東のカエデ林の「千入の森」など園内の景勝が一望できる。
 昭和の戦災により岡山城が焼失したため、往時の借景は失われたが、今も東南方向に園外の操山を見渡すことができる。庭園の中央約6mに達する築山の頂上からは、園内に広がる沢の池の全貌や延養亭、芝生や井田を見晴らすことができる。大名庭園としての地割など古くからの形状が保たれた庭園である。

頼久寺庭園(らいきゅうじていえん)

頼久寺書院南面の庭園。はるか正面の愛宕山を借景とし、鶴と亀の島を置いて石を組み、全面に白砂を敷く。頼久寺は、天保年間の大火によって焼失し、庭園も度々補修されているが、主要部には江戸時代初期の手法がみられ、すぐれた意匠を残している。


文化財種別:名勝

〒716-0016
岡山県高梁市頼久寺町18
Tel:0866-22-3516

ホームページ:raikyuji.com/


 暦応2(1339)年足利尊氏が安国寺として建立した禅寺頼久寺の書院南面の庭園であり、作庭家として有名な小堀遠州の初期の築庭と伝えられる蓬莱式枯山水庭。
庭園は、鶴と亀の島を置いて石を組み、全面に白砂を敷き、はるか正面の愛宕山を借景としている。書院左手にせまる山ぎわに、大株のサツキが植えられており、これが庭園の景色に得異な趣を加えている。このサツキの大刈込の手法は遠州独特のもので、この庭園においては大海の大波を表現しているとされる。頼久寺は天保年間の大火によってすべての伽藍が焼失し、明治維新の廃仏毀釈では、寺領を没収され、境内の大部分が失われている。庭園も度々補修されているが、主要部には江戸時代初期の手法がみられ、すぐれた意匠が残されている。

大通寺庭園(だいつうじていえん)

大通寺は曹洞宗の古刹で、天平時代743年の開基と伝えられ、鎌倉時代には現在の地に移転建立された。庭園は書院の北側に広がっており、高峰山を借景にして、多くの石組で構成されていて別名「石寿園」とも呼ばれている。


文化財種別:岡山県指定名勝
種別:県指定名勝

〒714-1202
岡山県小田郡矢掛町小林1815
Tel:0866-82-0909


 天平15(743)年に開基されたと伝わる曹洞宗の古刹大通寺の庭園である。
 庭は、書院の北側に造られた池泉観賞式庭園で、江戸時代後期に、矢掛村の中西源兵衛により長い年月をかけて造られた。庭は、仏教思想に基づいて、仏教の宇宙観である須弥山に見立てた三尊石を中心にした構成で造られている。奥に造られた築山の上の中央あたりに三尊石が置かれ、書院に向かって滝が流れ落ちる景色を表し、その手前に置かれたひょうたん型の池には、石橋が架けられている。
 高峰山を借景に蓬莱、座禅石、鶴石など多くの石組が庭全体に広く配置されていることから、別名「石寿園」とも呼ばれている。