名勝地関係」カテゴリーアーカイブ

財間氏庭園(ざいましていえん)

旧津和野藩の城下町において、幕末から明治時代中期にかけて発展、成長した町民の住宅庭園である。通りに面する表門内側の小さい前庭と主屋の東に面した主庭園からなっている。近世以来の商家の名残をとどめた近代津和野における造園文化の発展を示す庭園である。


文化財種別:登録記念物(名勝地関係) 

〒699−5605
島根県鹿足郡津和野町後田ハ38
Tel:0856-72-2867


 財間氏庭園は旧津和野藩の城下町において、現在まで残されている約20におよぶ町民の住宅庭園の一つである。明治32(1899)年に、建築された津和野を代表する大型の町家建築である。酒類を販売する店舗と現在の主屋が建てられるに伴い、庭園の原形が造られたと考えられている。
 庭園は前庭と主庭園からなり、前庭は表門の内側に灯籠と1本のマツが植えられ、マツの周りに巨石を組んだ石組みが小空間を創り出し、庭門を通って蔵の前の小規模な庭へとつながっている。主庭園は主屋の奥座敷と仏間の東面に造られており、軒先近くに2つの水盤状の小さな池と庭石、燈籠、蹲踞などが配置され、周囲に飛び石が巡らされている。奥座敷の沓脱石から庭の奥へ飛び石が配され、石橋でつながる2つの築山の周囲を巡っている。奥座敷から庭を眺めると、最奥部の築山の頂部に据えられた春日燈籠と複数の立石が、庭外に望む青野山の景色をつないでいる。

田中氏庭園(たなかしていえん)

旧津和野藩の城下町において、幕末から明治時代中期にかけて発展、成長した町民の住宅庭園である。通り沿いの用水路から敷地へ引き入れた水を利用した池泉回遊式庭園で、津和野城下の他の池泉庭園とも共通する特徴を持っている。近世以来の商家の名残をとどめた近代津和野における造園文化の発展を示す庭園である。


文化財種別:登録記念物(名勝地関係) 

〒699−5605
島根県鹿足郡津和野町後田ロ70
Tel:0856-72-1661


 田中氏庭園は旧津和野藩の城下町において、現在まで残されている約20におよぶ町民の住宅庭園の一つである。明治19(1886)年に製糸業を営んだ三浦五郎右衛門が主屋を建築した際に庭園の原形ができたと考えられている。昭和2(1927)年に絹織物で財を成した田中氏のものとなり、現在の庭園が成立した。
 庭園は、店舗と主屋の西南側に位置しており、座敷から観賞できるだけでなく、池の周囲を回遊できる池泉回遊式庭園である。庭園は通り沿いに建つ店舗・主屋と土蔵の間に設けられた表門から飛石を打った狭い前庭を経て、主屋と土蔵とをつなぐ渡り廊下に開けられた潜り門を抜け、津和野城跡の城山を背景とした緑豊かな池泉庭園へと至る。池の南岸には築山が造られており、頂部に据えられた立石と植栽された樹木とともに深山の趣を創り出している。前庭の飛石は主屋前面の沓脱石からの飛石と合流し、奥にある稲荷社と築山の頂部を経て池泉の周囲を巡って、随所に燈籠や庭石などの景物を楽しめるように造られている。

椿氏庭園(つばきしていえん)

旧津和野藩の城下町において、幕末から明治時代中期にかけて発展、成長した町民の住宅庭園である。庭の意匠や構成は近世から近代の坪庭の様式と共通するものがあり、近世以来の商家の名残をとどめた近代津和野における造園文化の発展を示す庭園である。


文化財種別:登録記念物(名勝地関係) 

〒699−5605
島根県鹿足郡津和野町後田ロ190
Tel:0856-72-0021


 分銅屋(椿家)は慶長年間(1596年〜)の頃より、現在地において、和蝋燭、鬢付油、菜種油、椿油等を製造販売していた。元禄15(1703)年、徳川幕府の命で、作成された「津和野藩町並図」には、すでに「分銅屋半兵衛」として現在と同じ場所に描かれており、津和野藩の「八人衆」の一人として認定されて、その印として暖簾名の家紋を鋳出した黄銅の花活(薄端)が下賜され、今日まで伝わっている。
 建物は、嘉永6(1853)年の津和野城下大火災後、同年すぐさま建て直された。大火の直後のため、材木の調達が困難であり、焼け残った建物の中から再利用できそうな材木や敷居などの廃材を集めて造作した、所謂「火事後普請」の家屋である。江戸時代の商家建築の典型的な「町屋造り」の形態を留めており、国の「登録有形文化財」として指定されいる。
 庭園は、中庭が「椿氏庭園」として「登録記念物」に指定されている。江戸時代の作庭とされ、嘉永6年の大火の痕跡(黒い焦げ跡や石割れ)を石組の踏石で確認することができる。江戸時代には、明かりが十分では無く、また、風を入れる必要があったため、当時の町屋では、一般的に中庭が作られていた。飛石と飛石の間には、全面に杉苔が群生しており、風流を醸し出している。