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常栄寺庭園(じょうえいじていえん)

常栄寺は約500年前、大内政弘が別邸として建てたもので、庭園は大内氏が雪舟に依頼して築庭させたものといわれている。山林を背景に心字池や枯滝、立石を配した庭は、多少改築の跡が認められるが、大部分は古態をよく残している。


文化財種別:史跡・名勝

〒753-0011
山口県山口市宮野下2001−1
Tel:083-922-2272


 常栄寺は約500年前、大内政弘が別邸として建てたもので、庭園は大内氏が雪舟に依頼して築庭させたものといわれている。
庭園は、丘陵の端、東南に開けた小さい谷戸の入り口に位置しており、谷の奥、山に向かって正面として作庭されている。
 その造りは、山林を背景として奥に心字池が置かれている。池より手前の庭地には、枯滝や数々の庭石が配され、立石の手法など、意匠は巧みで趣に富んでいる。
 多少改築された跡が見られるものの、その大部分は往時の状態をよく残しており、作庭した画僧雪舟の代表的な禅味あふれる庭園である。

毛利氏庭園(もうりしていえん)

1916年に築造された旧長州藩主毛利家の本邸の庭園。山口県防府市中心市街地の東に接する多々良山山麓に位置する。池泉周辺には、自然地形を活かしながら、石組、植栽、芝生、東屋、燈籠などを適所に配した典型的な回遊式庭園。


文化財種別:名勝

〒747-0023
山口県防府市多々良1−15−1
Tel:0835-22-0001


 大正5(1916)年に築造された旧長州藩主毛利家の本邸の庭園であり、山口県防府市中心市街地の東に接する多々良山山麓に位置する。もとは、水田のため池や小さな集落があったが、明治25(1892)年ごろに毛利家の新しい本邸の場として選ばれ、大正5(1916)年に本邸とともに完成した。 庭園は、本邸の2階建書院の南正面に広がる池泉回遊式庭園であり、表門から邸の表玄関に至る梛川に沿った通路を造り、毛利邸正面入口の広い車寄せの前に据えられた灯籠とヤマモモ、サツキが植えられた前庭が導入部となっている。
 ひょうたん型の内池泉は約5,500㎡の広さをもち、括れにあたるところに石橋が架けられ、自然地形を活かしながら、石組、植栽、芝生、東屋、燈籠などを適所に配し、回遊式庭園の典型を具現している。庭園の西北部には、この時代の庭園の特徴である、園遊会を主目的にした大芝生広場が設けられている。

宗隣寺庭園(そうりんじていえん)

臨済宗宗隣寺方丈の北側にあり、書院に面する築山泉水庭で「竜心庭」と称される。南に向いた丘陵に置かれた立石を中心とし、その下に池に向かって枯滝が組まれ、池中には8個の中型の立石が2列に配置されている。その作りから庭園の原型は南北朝時代のころと考えられている。


文化財種別:名勝

〒755-0067
山口県宇部市小串210
Tel:0836-21-1087


 宗隣寺は、寛文10(1670)年に宇部の領主・福原広俊が父、元俊の菩提を弔うため、当時荒廃していた普済寺の地に建てた臨済宗の寺で、普済寺のかつての池や庭を改修整備したものといわれている。
 庭園は方丈の北側にあり、書院に面する築山泉水庭で「竜心庭」と称される。南に向いた丘陵に置かれた立石を中心として置かれ、その下に枯滝が組まれ、池に落ちるようにしている。池の中には8個の立石が2列で「夜泊石」風に配置されている。
 このような作りは14世紀(南北朝時代)につくられたと伝えられる京都の知恩院や南禅寺にも似た型があり、当時の寺院の書院庭園としての様式が各所に見られることから、庭園の原型は南北朝時代のころと考えられていて、山口県内において最も古い庭園である。