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兼六園(けんろくえん)

延宝年間1676年、5代藩主前田綱紀が蓮池庭を造営したのを契機として、加賀藩の歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられた。 十三代斉泰のときには大改修が行われ、遠方の辰巳用水から池に水を導き、瀑布や曲水、噴泉など多彩な水景を造りだした。


文化財種別:特別名勝

〒920-0936
石川県金沢市兼六町一番地内
Tel:076-221-5508


 日本三名園の一つで、延宝4(1676)年、5代藩主前田綱紀が蓮池庭を造営したのを契機として、加賀藩の歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられた。回遊式の要素を取り入れながら、様々な時代の庭園手法を駆使してつくられた。敷地の広さを活かして、庭のなかに大きな池を穿ち、築山を築き、四阿や茶屋を置いて、そこに立ち寄りながら遊覧できる庭園となっている。作庭における基本的な思想は一貫して神仙思想であった。大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配し、植栽された多彩な樹木は四季折々の美しさを見せている。
 十三代斉泰のときには大改修が行われ、遠方の辰巳用水から池に水を導き、瀑布や曲水、噴泉など多彩な水景を造りだした。

成巽閣庭園(せいそんかくていえん)

文久3(1863)年に、兼六園の南に巽御殿(たつみごてん)の主庭として作庭された。 幕末から明治、昭和にかけて築山の造設や水路の作り替えなど、時代を重ねて整えられてきた。 水流を有する清邃(せいすい)で調和に優れた平庭庭園である。


文化財種別:名勝

〒920-0936
石川県金沢市兼六町1番2号
Tel:076-221-0580

ホームページ:www.seisonkaku.com


 成巽閣庭園は、特別名勝兼六園の南に隣接し、加賀藩13代前田斉泰の母、真龍院の隠居所として文久3(1863)年に造営された「巽御殿」とその主庭を築いたのが始まりである。
書院と茶室、水屋から成る「清香軒」に面する主庭「飛鶴庭」は、水が流れる清邃な平庭である。
 巽御殿は、明治7(1874)年に「成巽閣」と改称され、この頃に主庭から分水して、「万年青の廊下」の縁先に面する中庭に遣水として通水させ、築山を設けて、深山幽谷の景趣を創り出した。
 明治42(1909)年に、後に大正天皇となる東宮の北陸行啓をきっかけに、前庭に表門、馬車回し、玄関が整備された。また、「つくしの廊下」の縁先に面する中庭では、既存の能舞台を除却した後、主庭から続く水路を直流から緩やかな曲流に造り替え、平明な風情を創り出した。
 昭和24(1949)年頃には、現在の主庭、中庭、前庭からなる成巽閣の地割りが整ったとされる。
 時代を重ねて整えられてきた、水流を有する清邃で調和に優れた平庭庭園である。

那谷寺庫裡庭園(なたでらくりていえん)

寛永12(1635)年に那谷寺の庫裏と同時に築造された。 西側の茶室如是庵から東側の小池にかけて飛石が配置され、所々に石が立てられ、北隅にシイの大木が立つほか、 東の池を挟んでスギの巨樹が高くそびえるなど老樹が鬱蒼と茂る。 景致幽邃の庭園。


文化財種別:名勝

〒923-0336
石川県小松市那谷町ユ122番地
Tel:0761-65-2111

ホームページ:www.natadera.com/spot/#shointeien


 那谷寺は養老元(717)年、泰澄大師が岩窟に千手観音を安置したのがはじまりと伝えられる真言宗の名刹であり、安土・桃山時代の火災のため衰退していたが、寛永12(1635)年に加賀三代藩主前田利常によって再建された。庭園は、那谷寺の庫裏と同時に築造されており、小堀遠洲の指導を仰ぎ、作庭奉行の分部ト斉に造らせたといわれる。
本庭は、書院裏から本堂の裏にかけての北庭で、北西隅にある茶室、如是庵から書院裏をつないで東部の池庭へと飛石が打たれ、ところどころに石が立てられている。書院の角、北東部に三尊石が組まれた配石があり、庭の主要な景観が構成されている。        
北隅にシイの大木が立つほか、東の池を挟んでスギの巨樹が高くそびえるなど老樹が鬱蒼と茂っている。
小松を訪れた松尾芭蕉が那谷寺を参拝し、「石山の石より白し秋の風」の名句が残された。