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南湖公園(なんここうえん)

日本の公園制度は明治に入った1873年から始まるが、それに先んじた江戸時代末期、白河藩の第12代藩主松平定信により、身分の差を越え武士も庶民も憩える「士民共楽」という思想を掲げて、庭園の要素を取り入れて享和元年(1801)に築造された。 1924年に国の史跡・名勝に指定される。


文化財種別:史跡・名勝

〒961-0812
福島県白河市南湖1番地外
Tel:0248-27-2310 
白河市建設部文化財課

ホームページ:http://www.city.shirakawa.fukushima.jp/page/page001385.html


 江戸時代の寛政の改革で知られる白河藩主松平定信により築造された。定信は、身分の差を越えて誰もが憩え、塀がなく、いつでも誰でも訪れることができる場を造った。
 公園は北になだらかな丘陵と、南に池(南湖)があり、周囲一帯の広々とした景色を作っている。丘陵には松が茂り、その中に様々な樹木が混生している。樹林の中には種類に富んだ草花が生育し、四季折々に楽しむことができる。西の那須連山、南の関山などを借景とした、奥行きのある景観も、訪れる人の目を楽しませている。
 遊山だけでなく築造自体が領民の失業対策でもあり、また、新田開発など多様な目的をもって造られた景勝地で、池沼を中心にされた例は少なく、園名は、中国の作庭君「洛陽名園記」にある「湖園」の儀式を模したと考えられる。
 なお、「南湖」の名称は、中国の詩人李白の「南湖秋水夜無煙」の詩から取ったとも、居城小峰城の南にあるからとも言われる。

会津松平氏庭園 御薬園(あいづまつだいらしていえん おやくえん)

室町時代・約600年前の会津領主が別荘を建てたのが始まりとされる。中央に心字の池を配した回遊式庭園。 「御薬園」の名前の由来は、各種薬草を栽培する薬草園が設けられたことによる。 1932年に国の名勝に指定される。


文化財種別:名勝

〒965-0804
福島県会津若松市花春町8−1
Tel:0242-27-2472

ホームページ:http://www.tsurugajo.com/oyakuen/


 庭園の東側に連なる山並みを借景にした庭で、江戸時代の代表的な池泉回遊式の大名庭園である。室町時代に葦名盛久が霊泉の湧きだした地に別荘を建てたのがはじまりとされている。後に会津藩主松平氏の別荘となり、様々な薬草が栽培された薬草園が置かれたことから、「御薬園」と呼ばれるようになった。庭園は江戸時代中頃に築造されたといわれるが、詳しい年月は不明といわれる。
 庭園の中央には、中島がある心字池があり、島には橋が架けられ、数寄屋風茅葺の平屋「楽寿亭」が造られている。池の南東端に滝が造られ、南側には石敷の通路がみられ、水辺には処々に石が配されている。南から東にかけてモミやスギ、マツなどの大樹が繁り、北側にはアカマツが点々と生育している。
 戊辰戦争の時には、新政府軍の療養所として使用されたため、戦火に巻き込まれずに往時の姿をとどめた。