明治時代に大庄屋を勤めた清藤家の代24代当主、清藤盛美により造営される。 明治時代の三大庭園の一つ。
庭園は、池を中心に「真」を表す築山、「行」を示す築山をつくり、 「草」は平庭になっており、 洋館からは津軽の田園と遠くの山々を借景にした遠大な景観を眺めることが出来る。
文化財種別:名勝
〒036-0242
青森県平川市猿賀石林1
Tel:0172-57-2020
ホームページ:www.seibien.jp
津軽の豪農であった清藤家の24代当主盛美が、小幡亭樹宗匠を招き9年の歳月をかけて明治35(1902)年に築造した庭園で、池を中心に「真」「行」「草」の三部で構成されている。
中心となる庭園建築物の盛美館の前に枯池と一段下がって池泉があり、池泉には神仙島と二島が配され逢菜の松が植えられている。そして、池泉を挟んで二つの築山が築かれ、それぞれ、「真」と「行」を表現しているといわれる。「草」は「行」の築山の南側、盛美館の北東面に配置された平庭で、見事なイチイの大刈込みがみられる。
盛美館より遠望すると、津軽平野の田園と山々が借景となり、四季折々の景観が楽しめる。
盛美園は、大石武学流形式による作庭の代表的庭園である。大石武学流とは江戸末期、津軽藩を中心におこった作庭流派のひとつで、都落ちしてきた公卿が京都風の仏教文化に地方の古神道文化を取り入れてつくったのが始まりとされる。その名は開祖といわれる大石武学に由来している。