西山御殿跡 (西山荘)(にしやまごてんあと(せいざんそう))

水戸藩2代藩主徳川光圀の隠居所の邸宅に造られた庭で、久慈川水系の源氏川の谷津の最も奥部に造られている。光圀の死後に編纂された「桃源遺事」に記されている敷地全体の絵図「西山図」には、カリンやウメ、クマザサなどの薬草となる植物が数多く植えられていたことが知られている。


文化財種別:史跡・名勝

313-0007
茨城県 常陸太田市新宿町590
0294-72-1538


 水戸藩2代藩主徳川光圀が、元禄3(1690)年に藩主を退き隠居した邸宅の庭である。御殿は木造平屋建て茅葺屋根の数寄屋造りで、茅葺屋根の棟にイチハツが植えられている。イチハツは昔、大風を防ぐと信じられ藁屋根によく植えられたといわれる。光圀の隠居時にも植えられていたことが、「桃源遺事」にも記載されており、往時の様子をよく残していることがわかる。
 庭は、御殿の南面に広がっており、白蓮池と紅蓮池と呼ばれる2つの池が流れでつながっている。白蓮池は御殿の南西部にあり、池の水は東部にある紅蓮池へと流れている。2つの池の間に御滝と呼ばれる小さな滝があり、流れの途中に注ぐように造られている。御滝は、昭和43年の改修工事で、岩盤をくりぬいたトンネル状の水路が造られ、桜谷津から水を引き込んで滝口に吐水する構造が確認されているが、現在は水が流れていない。御滝の上部は観月山と呼ばれる築山が造られており、光圀が月見の宴を催したといわれる。