醍醐寺は平安時代に始まった名刹で座主が居住する三宝院の庭園。応仁・文明の乱により醍醐寺の山内は荒廃するが、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」を契機に復興され、庭園についても優れた庭師たちによって作庭された。
文化財種別:特別史跡・特別名勝
〒601-1325
京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
Tel:075-571-0002
醍醐寺は平安時代に理源大師聖宝が、「醍醐水」といわれる名水の湧く笠取山に観音像をまつったのが始まりとされる名刹。座主は三宝院に居住していたが、応仁・文明の乱で醍醐寺の山内は荒廃して、三宝院もまた失われた。荒廃した醍醐寺を建て直したのが義演准后で、豊臣秀吉の庇護を受けて寺を再興した。豊臣秀吉は慶長3(1598)年、金剛輪院のあった地に三宝院を新たに造るにあたり、自ら縄を張り3人の庭奉行にもとあった庭を修築させたといわれる。翌年の慶長3年8月に秀吉は亡くなるが、その後は義演の手で修築が続けられ、義演が亡くなるまで27年に渡って築庭された。
庭は中央に池を置き、3島を設けて9基の橋を架けて南側に築山を築き、東側には滝が架けられている。池の畔には多くの景石が置かれて、その中には歴代の天下人が所有していた名石の「藤戸石」も置かれた。ゴヨウマツやシイ・カシの常緑樹の大木が立ち、「豪放」と「清雅」な趣をあわせ持っている。