三溪園(さんけいえん)

東京湾に面した「三之谷」と呼ばれる谷あいの地に近代横浜随一の実業家、原三溪により造られた。明治39(1906)年に一般公開された外苑と、私庭としていた内苑に分かれる。京都や鎌倉などから集められた歴史的建造物と四季折々の自然とがみごとに調和した景観が見どころ。


文化財種別:名勝 

〒231-0824
神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1
Tel:045-621-0634

ホームページ:www.sankeien.or.jp


 横浜市東南部の丘陵と谷からなる変化に富んだ地に、近代横浜の実業家・原三溪(本名、富太郎)により造られた。三溪は明治32(1899)年に家督を相続し、まもなくして自らの構想で造営を始めた。明治35(1902)年に「鶴翔閣」を新築し、旧天瑞寺寿塔覆堂や茶室寒月庵等の移築を始めた。明治38(1905)年、関西方面に庭園視察のため庭師を派遣し、翌年には現在の外苑部分が概ね整備を終え、同年5月に、一般公開された。私園の公開は、当時において画期的な試みであった。開園後も造営は続き、大正11(1922)年に聴秋閣が移築されて完成された。
 代表的な景観として、対岸の丘の上に旧燈明寺三重塔を仰ぐ大池や、前面の池の水面に映り込む緑の丘陵を背景にした臨春閣、緑豊かな渓流と聴秋閣の絶妙の対比などがある。
 庭園内部からの視覚に、近代化による周辺環境の変化をうかがわせるものがほぼ遮断されている点など、大都市の大庭園としては稀有の特色をもつ。