向島百花園(むこうじまひゃっかえん)

江戸時代、文化・文政期の1805年に造られた。 開園当初は梅園を主体として営まれたが、後に園主や文人達の構想で詩歌にゆかり深い草本類が多数栽培される。 小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なる庶民的で、文人趣味豊かな趣きをもつ庭園。


文化財種別:史跡・名勝

〒131-0032
東京都墨田区東向島3−18−3
Tel:03-3611-8705

ホームページ:teien.tokyo-park.or.jp/contents/index032.html


 町人文化の最盛期となる文化・文政期に、骨とう商を営む佐原鞠塢が、向島にあった旗本の屋敷跡を買い求めて造られた庭園であり、江戸時代後期の経済的、文化的に豊かになった庶民によって造られた民営の花園である。開園当初300本以上のウメが植えられ、「新梅屋敷」と呼ばれた。文人達の構想で、万葉集の草木や詩歌にゆかり深い草本類を多数栽培し、1年中花の絶えることがなく「百花園」とも称された。
 建物、池や園路、30基を超える石碑が配された地割は優れたものであり、現代に残る数少ない江戸時代の文人庭の遺構である。江戸時代からの建物は昭和20年に焼失するが、今も景観は当時の趣きをのこしており、都内に現存する他の大名庭園とは異なる美しさを見ることができる。